土曜サロン 第156回(2006年10月21日)

戦前の探偵小説について

 二〇〇六年十月の土曜サロンは、会員の横井司さんから「戦前の探偵小説」というテーマでお話を伺った。

 横井さんは論創社から刊行されている《論創ミステリ叢書》の監修をされている。この叢書は戦前のあまり知られていない作家や作品を積極的に取り上げているという画期的なシリーズであり、各方面からの評価も高い。

 論創社はミステリファンには今まであまり聞き馴染みのないところだが、どうしてこのようなシリーズを出すようになったかというと、それは横井さんがミステリ評論で博士号を取られたという経歴と関わりがある。横井さんは現在ミステリと関係のないお仕事もされているのだが、そこで一緒になった方が以前論創社の仕事もされていて、その縁で紹介された。なんでも社長さんはミステリ好きであられるらしい。最初は横井さんの博士論文を本にしようというお話だったそうである。しかし、それだと一冊で終わってしまう。それよりも会社の特色を出すために戦前の探偵小説を中心とした珍しい作家をシリーズで出してみないかということになり、この企画が実現された。

 なお、記念すべき第一巻が平林初之輔だったのは解説を書かれた方が平林の研究者であり、また論創社がもともと社会科学系をメインとしたところであるからだという。とはいえ、珍しい作家ばかりではバランスが悪い。ある程度、知名度のある作家とまったく知られていない作家を交互に出してマイナーに偏らないようにしているそうだ。ちなみに版権切れの作家が多いのは、会社の厳しい台所事情によるものだとか。毎月必ず刊行して書店の棚を確保しているが、一時期は社内ストライキで刊行が遅れた等といろいろ苦労は絶えない。

 もっとも大変なのは出版だけではない。今まで他社があまり出してないということは本が残っていない、あるいは雑誌掲載のみが多いことを意味する。まず書誌をチェックしてからリストを作り、それから掲載雑誌を探して…という作業で進めているが、その雑誌がなかなか見つからない。とくにミステリ以外の雑誌が見つけにくいという。

 編集も出版も苦労が絶えないが、しかし思わぬ発見もある。たとえば久山秀子。乱歩の記述は少ないが、作品をまとめてみると、パロディあり、本格ありと実はかなり幅広い。本格、変格というくくりでは入ってこない作家だったのだ。これはこの叢書が出るまで知られてなかったことかもしれない。余談だが、この叢書を出したことによって久山秀子の遺族から未発表の遺稿があるという連絡をいただき、さらに追加して本を出せることになった。

 乱歩より前に長編探偵小説を書いていた作家の一人に松本泰がいる。そして松本泰の奥さんであり児童文学の翻訳で名高い松本恵子もミステリを書いていたが、こういうことも今までほとんど紹介されたことがなかった。なお、ちょうど二十巻目に出た中村美与子はまだ経歴が曖昧な部分もあるが、思い切って本にしてみたとか。

 ちなみに、この叢書では小説作品だけでなく評論・エッセイ等も収録されているのが特徴だ。探偵小説創世期の作家たちがミステリについてどのようなことを考えていたかをうかがい知れる貴重な資料にもなっている。

 《論創ミステリ叢書》は現在二十巻まで出ている。今のところ終わらせる予定はないという。読者からの手紙にはこの後出してほしい作家のリクエストが来ているし、横井さん自身も出したいと思う作家はまだまだいるという。後から始まった《論創海外ミステリ叢書》は悠に五十冊を越え、さらに《ダーク・ファンタジー・コレクション》という新しいシリーズまで動き始めている。本の売り上げはなかなか厳しいようだけど、編集する側の意気込みは衰えていない。しばらく読者の嬉しい悲鳴は続きそうだ。