映画観賞ノート(2004/10-12)

『変身』(2002露)

不条理文学といえばカフカ、カフカといえば『変身』と言われるほど古典的な作品をロシアで映画化したものだが、恥ずかしいことにこの原作はちゃんと読んだことがない。昔、本の紹介であらすじを読んだっきり。なので、大体の流れは知ってるけど、どこまで原作に忠実なのかは判断できないのだ。短い話なんだから、読んでおけばよかったと観た後で後悔した。

それはともかく役者と演出がすばらしい。とくに主演のエヴゲーニイ・ミローノフは特殊撮影を一切使用しないので、虫になったシーンも全部そのまま演じているのだが、これが上手いのだ。人間の姿をしてながら、全く理解できない得体の知れないものの不気味さを表現しきっている。また、一家の稼ぎ手である自分が虫になったために落ちぶれていく家族の生活を見つめる目もいい。やり場のない怒りと悲しみに満ちている。時々挿入されるザムザの夢のシーンも幻想的で美しい。気軽に楽しめる作品ではないけれど、幻想的な雰囲気が好きな人にはぜひ薦めたい映画だ。(2004/12)

『ジョバンニ』(2001伊)

ローマ教皇の甥であるジョヴァンニ・デ・メディチは、ゲルマン人との激しい戦いの果てに28歳という若さで命を落とす。勇敢であった彼も近代兵器の前にはなす術がなかったのだ。彼の死は近代戦の始まりでもあった…。

エルマンノ・オルミの十数年ぶりの新作だが、ブランクを全く感じさせないすばらしい完成度だった。なんといっても様式美あふれる演出がいい。すっかり魅了された。

死の床にあるジョバンニの敗因を関係者の証言を通して明らかにしていくという手法は大変ミステリ的であり、やがてそこから浮かび上がっていく真実は、今の時代にも起こっていることだけに胸を突く。たぶん監督の意図は現在の世界情勢への批判なのだろうが、なまじっかストレートに訴えてこないところに老練さを感じる。なるほど、こういう風に主張するというやり方もあるんだなあ。久しぶりにヨーロッパの香気を堪能したとでもいおうか。(2004/12)

『やさしい嘘』(2003仏・ベルギー)

グルジアを舞台に女ばかりの家族の姿をほのぼのとした描いた家族愛の映画。おばあちゃんはパリに出稼ぎに行った息子をなによりも気にしている。娘はいつも弟と比較されて面白くないけれど、恋人とを作ったりしてそれなりに人生を謳歌している。孫娘は自分の将来に悩んでいる。お互い喧嘩することもあるけれど、それなりに楽しい生活を送っていた。しかし、あるとき出稼ぎ中の弟の訃報が届いてしまう。おばあちゃんにショックを与えたくない娘は孫娘に協力させて、そのことを秘密にしようとするが…。

世代の違いを描いた映画はいろいろあるけれど、この作品で面白いと思ったのはスターリンについても捉え方だ。ロシア革命を記憶しているおばあちゃんはスターリン崇拝者だが、もちろん娘は違う。むしろ反スターリン。しかし孫娘はスターリンに何の感慨も抱かない。大昔の人というだけ。グルジアはスターリンの出身地だから、今でも心酔している人がいても不思議じゃないけれど、こんなことで世代差を表せるのは旧ソ連地域ならではだろう。

ラストもまた今のロシア諸国の状況をよく反映している。孫娘はこの先どうなるか分からないけど、祖母や母親とは違う新しい世界を築いてほしいと願わずにいられない。きっと、この映画を観た旧ソ連地域の人々もそう感じているだろう。(2004/12)

『ピエロの赤い鼻』(2003仏)

週末になるとピエロを演じる教師の父親を息子は恥じている。しかし、父親がピエロを演じるのには理由があった。その理由とは…。

心温まる感動の物語であることは間違いない。だけど薄っぺらな印象しか残らなかった。うーん、なにがよくないんだろうか。主人公の場当たり的な反戦活動も実際にいてもおかしくないと思えるし、そこから悲劇へつながる展開も上手いとは思う。でも、ほろりとさせられたことは一度もないまま。あまりに演出がオーソドックスなので、展開がすべて読めてしまうせいかもしれない。あるいは、物語の要となるドイツ兵についてもっと描いてほしかったという思いがあるせいかもしれない。どちらにしても、面白くなる要素はあったのに、こんな平凡は仕上がりではもったいないストーリーであることは間違いない。ま、ブノワ・マジメルがカッコよかったので、それでよしとしよう。(2004/12)

『砂と霧の家』(2003米)

無職の女性がふとしたことで差し押さえられた父の遺産である家を巡って、新しい所有者となったイラン系の元大佐一家と対立していく…。

なんとも救いのない話だった。誰一人して根っからの悪人はいないにも関わらず、そしてお互いを理解しあえそうなところまで歩み寄れたのに、結局全ての人々が崩壊していく。どうしてこうなったかを考えると、諸悪の根源はヒロインであるとしか言いようがない。つらい過去から逃れるために酒とドラックに手を出し、ちゃんとした職についてない彼女は社会的には弱者であるけれど、その美しさと哀れさのために最悪の男を引き寄せてしまうのだ。最悪の男というのが、これまた悪人ではなく自分の行いは正しいと信じてるのだからどうしようもない。悪いことをしている自覚がないから、結果として最悪の事態を引き起こしてしまうのだ。あまりに愚かすぎる。とはいえ、この物語は社会的な悲劇ではなく、ファム・ファタールに滅ぼされた人々の話だと思えば、この展開は当然なのかもしれないが。

キャストではやはりベン・キングズレーが圧倒的な存在感だった。誇り高い男の生き様をここまで巧みに表現できる人はそういないだろう。妻役のショーレ・アグダシュルーも貞淑さと強さを併せ持つところがいい。ジェニファー・コネリーは上手いと思ったけど、役柄のせいかどうしても好きになれない。それは警官役のロン・エルダートもそうなのだが。

それにしても、ラストにもう少しひねりが欲しかった。あまりのストレートさにある意味、辟易してしまう。(2004/11)

『オールド・ボーイ』(2003韓国)

平凡なサラリーマンがある日突然誘拐され、15年間監禁される。釈放された男は復讐の鬼と化して監禁した犯人を捜すが…。

本年度のカンヌ映画祭グランプリ作品。原作は漫画アクションで連載されていたものだとか。とにかく最初から最後まで圧倒されてしまう。暴力的な描写も多く、生理的に不快なシーンもいくつかあったけど、このスタイリッシュな映像と計算し尽された演出はすごいとしかいいようがない。あまり好きなタイプの話ではないのだけれど、でもこれは間違いなく私が今年観た中でベスト1の映画だ。テーマは復讐と究極の愛という普遍的なもの。ラストも予告の段階では他言無用と宣伝しているが、そんなに意外性に富んだものではない。肝心要の監禁された理由にしても途中で割とあっけなく察せられてしまうのだが、それでも最後まで画面から目が離せなかったのは人間の愛憎をとことん描いているからだ。もうこれが結論だろうと何度も思っているのに、まだまだ続いていく。やりすぎじゃないかと思いつつもこちらの予想を遥かに超えた展開ににはさすがに脱帽した。何度も見返したいような内容ではないけれど、決して忘れることができない作品だ。ちなみに音楽も秀逸だ。ちょっとノスタルジックで甘めのワルツのメロディが悲しさをよく表している。音楽の面でも今年のベスト1かもしれない。(2004/11)

『珈琲時光』(2003日)

侯監督が小津監督へのオマージュをして撮ったもの。小津へのオマージュだから、あちらこちらに小津を彷彿とさせるようなシーンが多い。ともすると、外国人監督の作品を思えないほどノスタルジックな思いにあふれてる。主演の一  は映画初出演でかつ演技経験はあまりないそうだが、それだけに計算じゃない自然な動きがするのがいい。素人っぽい台詞回しがなんとなく笠を連想させる。でも一番よかったのは。父親役の大地康生だ。後半、親子三人で食事をする場面で、何にも言わずにお酒を呑み続けるのだが、台詞がないだけに仕草に感情が込められている。今はあまり見かけない古風な父親の心情をなんと見事に表現してるのだろうか。まさしくこれは現代によみがえった小津の世界だ。それにしても、浅野忠信演じる古本屋さんは、あんまりやる気なさそうに見えるのだけど商売は大丈夫なのだろうか。せっかくパソコンがあるんだったら、目録でも作ればいいのに…となぜかいらんことばかり考えてしまった。我ながらイヤな性分だと思う。(2004/10)

『インファナル・アフェア 無間序曲』(2004香港)

警察と黒社会のそれぞれからスパイとして送られた男達の壮絶な運命を描いた『インファナル・アフェア』の2作目。前作の過去を舞台としている。

シリーズものだけど、過去の話なので、独立した作品としても楽しめる作りになっている。前作を忘れ気味だったけど、おかげで違和感なく作品に入り込めた。ありがたいことだ。それにしても前作でも思ったことだえけど、要領のいい奴って若い頃からそうなんだね。1作目のヤンは苦労が多くて大変そうだと思っていたら、これではもっと苦労している。それでもって最期はああなるのかと思うと、本当にかわいそうだ。なんて悲しい人生だろうか。それに比べると、ラウは若い頃から恵まれているようにしか見えない。確かに苦しい恋はするけど、でもその後にいい恋人ができるが分かってるしね。だからなのか、ラウが苦しんでいても、あんまり同情する気になれない。この後の三作目ではどういう展開を見せるのか分からないけど、二人の姿がいよいよ気になってしまった。

ところで、不思議でしょうがないのは、マリーがどうしてあんなにサムに尽くすのかということ。情婦だからというだけでは物足りない。ここら辺、もう少し描いてほしかった。それとも、こういうのも次作で明かされるのだろうか。ま、いろいろと思うことはあるけれど、とりあえず3作目まで待ってみよう。(2004/10)

『CODE46』(2003英)

同じ遺伝子を持つ人間同士の生殖を禁ずるという社会を舞台に禁じられた恋に落ちた男女の運命を描いた近未来SF。

『イン・ディス・ワールド』がよかったので、同じ監督ということで観たのだが、正直言って期待外れだった。まずSFである必然性が見えないということだ。それに、クローン人間が多いため、同じ遺伝子を持ち人間同士では生殖を禁ずるという発想が古すぎる。今の時代だってそれなりに避妊技術が発達してるのだから、近未来ならもっと進んでいるのではなかろうか。というか、あの世界に避妊具はないのだろうか。あと、主人公二人が逃亡した地域の描写が妙にリアルなのにも戸惑ってしまった。まるっきり『イン・ディス・ワールド』の世界なのだ。描写の上手さはさすがだと思うけど、あんまりこのストーリーにそぐわないというおうか。こちらのほうがインパクトが強すぎて他のことがかすんでしまうのだ。主演の二人はとてもよかったし、やるせない雰囲気もよかったが、結局なにをテーマにしてるのか分かりにくい作品だった。(2004/10)

『ヘルボーイ』(2004米)

アメコミ『ヘルボーイ』を映画化。主演が今までの出演作は観たことないけど、顔だけは忘れらないという個性的な顔立ちのロン・パールマン。なるほど、この顔で選ばれただけあって役柄によく似合ってる。どこまで特殊メイクなのか分からないぐらい。ちなみに観にいった最大の理由は、ラスプーチンが出てくるからなのだが、これが意外によかった。てっきり、どこがラスプーチンなのだと憤る予感がしていたのだけど、そんなに外れてなかったので(あくまで私のラスプーチン像との比較だか)

ところで、ヒロイン役のセルマ・ブレアはもしかしてロン・バールマンをあまり好きじゃないのかな。ラブシーンがそっけない感じなので、あれでは恋人という風に見えないのだが。アメコミ原作なのでアクションがメインだけど、端々に遊び心を感じさせる場面が多いのもよかった。ヒーローが子供に恋愛相談したりとか、イヤミな上司だと思っていたのに、葉巻の火のつけ方を教わるところとか。そうそう上司といえば、あの後はどうなったのだろうか。気になってしょうがないのだが…。(2004/10)

『狼といた時』(2004露)

東京映画祭コンペティション作品。ロシアのある村では狼が脅威をなっていた。村に住む狩人は捕らえた牝狼にとどめをさすが、死ななかったので、逆に保護するようになる。しかし村人達は狩人の行動に反発し、牝狼に毒を盛るが…。

自然の中で生き延びるのは人間も狼も容易ではない。時として対立しあうけれど、それがふとしたことから歩み寄る瞬間がすばらしい。動物愛護というように高みからの視点ではなく、あくまで同等な立場なのだ。もちろん狼の脅威に晒されてる村人たちは理解できないのも当然なんだけど、観ている側は狩人の行動に納得できる。このあたりの演出はすばらしい。ラストもこれしか考えられないものであるため、途中からどうなるのか察しが付くのだけど、やはり切なくて悲しい。なお、最後の字幕で一切動物虐待はしていないとあったけど、それではあの狼はすべて仕付けたものなのだろうか。それもすごいことだと思った。(2004/10)

『シークレット・ウインドウ』(2004米)

妻と別れたミステリー作家があるとき見知らぬ男から盗作したと言いがかりをつけられる。最初は男の訴えを無視していた作家だが、男の執拗な攻撃に耐えかねて…。

うーん、キングだし、ジョニデだし、タートゥーロだし、面白くなりそうな要素はいっぱいあったはずなのに、見事なくらい外してくれた。というか、よくまあ、ここまで盛り上がりのない作品に仕立てたものだ。ジョニー・デップは確かにいい。彼ならではの演技を披露してくれるけど、しかし彼じゃなくてももっと演技派の俳優だったら、もう少し画面が引き締まったかもしれない。さながら『エンゼル・ハート』のリチャード・ギアのようだ。惜しいのはタートゥーロだ。彼はもっと奥行きのある演技をできる人なのに、演出が生かしてきれてない。もっとタートゥーロとジョニデを絡まして緊迫したムードを高めてくれたら、後半も盛り上がったのでは。いや、もはやここまで平坦だと、それだけじゃダメかもしれない。とにかくキング原作と認めたくないほどに、演出と脚本が最低だった。(2004/10)

『スキゾ』(2004露)

東京映画祭コンペティション作品。カザフスタンの女性監督によるラブストーリー。15歳の少年が母の恋人が関わっている賭けボクシングの試合の手伝いをする。そのとき、少年が声をかけた男は試合での怪我が元で死んでしまう。いまわの際に

男から家族への送金を頼まれた少年は、そこで出会った男の妻である年上の女性に恋をする。果たしてこの恋の行方は…。

恋愛物としては、そんなに珍しい設定ではないし、時々かなり甘さが感じられるのだが、それでも爽やかに感じられたのは背景の町並みが殺伐としていせいかもしれない。とにかく貧しい町なのだ。これといった産業がないのか、働き盛りの男達が仕事を求めて工事現場でたむろっている。少年は知的障害があるらしく、母親に連れられて医者の診察を受けるが、そのとき母親が自家製バターで支払いをする。しかも、それはこの母親に限ったことではなく、どの患者もそうらしい。医者はこれらの品物を市場で売って、生活の足しにするのだろうか。まるで戦後の闇市のよう。こんな町が舞台で、かつ主人公の少年もヒロインである女性もどこにでもいそうなごく平凡な顔立ちのせいか、ストーリー自体はおとぎ話のように甘いのに、妙に寒々しい雰囲気なのだ。ありえないストーリーと舞台のギャップの差がある意味楽しかったが。もっとも一番痛快なシーンは、少年の叔父が試合でまさかの勝敗になったこと。昔(おそらく共産政権時代)に警察で散々リンチされたので打たれ強いというのがいい。これまた旧ソ連ならではのありえそうな設定だけに大笑いしてしまった。(2004/10)