映画観賞ノート(2004/1-3)

『盲獣VS一寸法師』(2001日)

石井輝男といえば他にもいろいろな作品があるけれど、どうしても真っ先に思い浮かぶのは『恐怖奇形人間』だ。あれはなんとも形容し難い作品だった。さすが伝説のカルト映画といえようか。そんな石井輝男監督が三十年ぶりに乱歩を撮った。しかも『盲獣』と『一寸法師』の二つを掛け合わせた内容だとか。キャストも訳も分からないほど豪華だし、これは否が応でも期待してしまう。……という意気込みで観たものの、これにはある意味『恐怖奇形人間』より絶句してしまった。あまりに監督の個性が強すぎて乱歩が吹き飛んでしまってるんだもの。原作には割と忠実なのだが、どうしてもなにが違うという気がしてならない。たぶんDVで撮った映像が映画というよりTVドラマのようぬクリアで鮮明すぎるのが原因かもしれないが。あと『盲獣』に関しては増村保浩監督のイメージが強すぎるのもあるかもしれない。ただしラストの丹波哲郎は絶品。いやあ、この一言でそれまでよどんでいた気持ちが吹っ飛びました(笑)。(2004/3)

『メイキング・オブ・ドッグヴィル 告白』(2003デンマーク)

『ドッグヴィル』の最初の予告で流れていた映像があまりに面白くてそのためにこれを観にいったのだが、予想に反して結構まともな内容だった。『ドッグヴィル』のメイキングだけど、あまり舞台裏は出てこない。どちらかというとラース・フォン・トリアーの心情のほうがメイン。それが残念だった。せっかく告白と銘打ったのだからもっと赤裸々なものを期待していたのに。

忘れがたいのがN・キッドマンが最も過酷なシーンの撮影の後、泣き崩れていたこと。たとえ芝居をはいえ、やはりそういう風になるものなのか。役者が身を削る仕事であることを改めて思い知らされる。あと意外といっては失礼だが、ローレン・バコールが人を気遣う細かさにも驚いてしまう。ベテラン女優というと気難しいという思い込みがあるせいなのだが(これは『サンセット大通り』の影響なのだが)。しかし、ラース・フォン・トリアーは他の人のインタビューでは相当かわった性格みたいなのだが、これではほとんどその姿を見ることができない。悪趣味を思いつつ、残念に感じてしまった。ちなみにこれは『ドッグヴィル』のDVD化の際には含まれるのだろうか。ぜひ入れてほしいものだ。(2004/3)

『イノセンス』(2004日)

海外でいくら絶賛されようと、押井守はどこまでも押井守なんだなあ。スタンスは『うる星やつら』の頃とあまり変わってないような気がする。相変わらずの台詞が多いことといったらもう…。しかも確実に薀蓄度は上がっていて、ルクスソル社の由来なんて教えてもらわなかったらずっと知らないままだっただろう。そもそも由来が分かる人間でこの映画を観る人はどのくらいいるのか。ま、そういう自分の趣味と客層のズレをあまり意識しないあたりが逆にオタク心をそそられるんだけど。

内容は『攻殻機動隊』の続き。前作に比べると映像が格段に美しくなっていて、最新のCGはここまできるのかと圧倒された。しかし映像のすばらしさに比べるとストーリーは今ひとつかもしれない。結局なんだったのと聞きたくなるぐらい起伏がないのだ。雰囲気はハードボイルドタッチでよかったんだけどね。つまるところ、これは最新のCGを駆使した押井守の内的宇宙を描いた作品なのだ。本当にこの人は昔から変わらないなあ。でもこのひたすら己のイメージを形にしようとするとする手腕はすばらしいの一言だけど。それにしても、これを観て『マトリックス』がいかに押井守作品に影響されていたかを改めて知る。そして『マトリックス』がダメだったのは押井守作品の上っ面だけを模倣したことかもしれないなとも思った。(2004/3)

『ドッグヴィル』(2003デンマーク)

去年のカンヌ映画祭の話題作であり問題作となったもの。確かにこれはかなり衝撃的な作品だと思う。ここまで情け容赦なく人間の浅ましさをさらけ出した作品もそうはない。しかも、それをじっくりと丹念に三時間近く映し続けるのだ。いやはや、これは覚悟をしていても堪えてしまう。とはいっても生々しい描写はあまりなく、どちらかというとコミカルな語り口なのだが。それだけに人間の嫌らしさをより感じたのかもしれない。

ストーリーは前作の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と同じようにヒロインの受難話。前作との決定的な違いはヒロインの美しさかな。もっとも美しいが故にこのヒロインは悲惨な目に遭うのだが…。ヒロイン役のニコール・キッドマンが今の旬の美しさを見せてくれる。対するヒーロー(ただしアンチである)役のベタニーがこれまたハマリ役。よくぞこの難しい役をこなしたものだと思う。メイキングでかなり愚痴っていたけど、この役柄じゃね。無理もないなあ。あとはローレン・バコールにベン・ギャザラ、ハリエット・アンデルセンにジェームズ・カーンという顔ぶれが懐かしくて嬉しい。

しかし怖い話だ。何が怖いといって終盤のヒロインの行動に爽快感を覚えてしまったこと。おそらく彼女は正しいし、私が彼女だったらもっと早く行動しただろう。だけど自分は状況によってはむしろ彼女を虐げる側なったかもしれない。そう思うとこの結末をすんなりと受け入れることができないのだ。そう思ったのはラストのある場面に生理的嫌悪感を感じたせいなのだが。あの描写は本当に必要だったのだろうか。どうしてもあの場面だけは納得できない。あとエンディングロールにも少々やりすぎに感じる。あのストーリーだけで十分言いたいことは伝わったと思うのだが…。というか、さすがにあれには辟易してしまった。(2004/3)

『女王フアナ』(2001スペイン・ポルトガル・イタリア)

15世紀末スペインに狂女フアナと呼ばれた女王フアナの半生を描いた歴史ドラマ。スペイン史はあまり詳しくないのだけど、さすがにこの人の逸話は聞いたことがある。もっとも歳若くして政略結婚し、結婚相手を深く愛するあまりに奇行に及んだという程度だが。

映画ではこの複雑な情念をいかに描いてくれるかが楽しみだったのだが、あまり掘り下げておらず、フアナがたんなる嫉妬深い女にしかみえないのが残念だった。とくに物足りなかったのは夫であるフェリペが亡くなった後のこと。棺と共に荒野をさすらった場面がもっと見たかったのだが、ほとんどない。あれを楽しみにしていた人も多かったかもしれないのに…。ストーリーは全体的に平坦。どこが山場なのかよく分からず、同じ史実映画『エリザベス』に比べると見劣りしてしまう。フアナを取り巻く危機的状況だってエリザベスに匹敵するぐらいドラマがありそうな気がするのだが。

キャストでは主演のピラール・ロペス・デ・アジャラが瑞々しい魅力にあふれていていい。あと嬉しかったのはジュリアーノ・ジェンマ。かってこの人の西部劇は大好きだったので久しぶりに姿が拝めて感無量だった。(2004/3)

『幸せになるためのイタリア語講座』(2000デンマーク)

なんといってもタイトルが秀逸。なんて分かりやすいのだろうか。やはり映画のタイトルとはこうでなくちゃねと思う。ストーリーはいたってシンプル。コペンハーゲン近郊の町のイタリア語講座に通う男女を描いたもの。予告だと恋愛映画と銘打っているけれど、どちらかというと人々の交流する樣がメインに感じた。確かに恋愛のこじれとか成就はあるけれど、描写が淡々としてるせいか、なんとなくのどかなに見えてしまうのだ。、恋愛描写がいたってストレートで分かりやすかったせいもあるかもしれない。

複数の登場人物達の中で最も印象に残るのは不器用なオリンピア。独裁的な父親に始終ガミガミいわれ、おどおどした態度が身についてしまい、何をやらしても失敗ばかりしてしまう。すっかり自信喪失した彼女はイタリア語講座で知り合った赴任してきたばかりの牧師アンドレアスに心惹かれていくが…。この二人に関してははっきりとした結論は出ないけど、できることならばと思わせる距離感がよかった。他にも何組かの恋人達はいるけれど、少々非現実的に見えてどうもイマイチ。もう少しひねりが欲しかった。(2004/3)

『マスター・アンド・コマンダー』(2003米)

近年稀に見る腐女子向け映画。今までも『パイレール・オブ・カリビアン』や「ロード・オブ・ザ・リング』といって女心をかきたてた作品はあるけれど、ここまでやってくれたものはそうない。いや、たぶん製作側もそんなつもりは微塵にもなかったかもしれないが…。

とにかくベタニーがすばらしいの一言に尽きる。この人は「ギャングスター・ナンバー1」のキレっぷりが強烈だったので、てっきりそういうタイプだと思っていたのだが、まさかこんな和み系を演じられるとは全く予想してなかった。なんで30男がこんなにかわいく見えるのだろうか。不思議でしょうがない。おかげでラッセル・クロウとのやり取りが全てそういう風に見えてしまうのだ。いや、これも原作者や製作側にはそんなつもりはなかったのだろうけど、あまりに絆の深い男の友情って実は女子高のSと体質が似てるのでは…とあらぬ妄想をかきたててしまった…。

とはいっても、ストーリーは結構シビアだ。船長の過酷な判断がやがて更なる悲劇を招く…という展開は閉塞的な状況における集団心理の怖さを思い知らせてくれる。しかも、悲劇的な状況を作り上げていくのが最初の事故で助かった男というのも運命の皮肉さを感じさせていい。ただし、ラストには少々拍子抜け。たぶん原作に忠実にしたのかもしれないが、あれでは今までの緊張感が吹っ飛んでしまう。もう少し工夫してほしかった。ちなみに字幕監修を原作の翻訳もされている高橋泰邦氏が担当。映画館で名前をお見かけすると思わなかったので、なんとなく嬉しくなってしまう。映画とは直接関係ないことだけど。(2004/3)

『ゼブラーマン』(2003日)

三池崇史監督、脚本家宮藤官九郎による哀川翔主演100本記念作品だとか。しかし、あいにく私はこの三人の作品はほとんど観てないんだよね。まあ、強いていうなら宮藤勘九郎脚本の「アイディン&ティティ」ぐらいかな。

ということで、あんまり期待せずに行ったところ、本当に期待してなくてよかったなあという感じだった。うーん、悪くはないけどねえ、なんか物足りない。哀川翔は結構よかったし、脚本もそれなりに笑えるところはあったけどカタルシスがないなあ。やっぱりヒーローものはツライことに耐えた後に大活躍してくれなきゃね。せっかくの東映でせっかくのヒーローものなんだから、もっとオタク魂を炸裂してもよかったのでは…。それと、子供が絡む場面だと妙にオーソドックスな演出になってしまうのも興ざめ。そんなドラマを期待してる人はいないと思うんだけどなあ。小手先で起用にまとめたという印象の作品だった。(2004/2)

『幸せな孤独』(2002デンマーク)

なんといってもこのタイトルが秀逸。最近直訳めいた邦題が多いけど、やっぱりタイトルとはこれぐらいの趣向を凝らしてほしいというもの。こういうタイトルのほうが想像力をかき立てられるからね。

内容は結婚を控えたカップルが交通事故に遭って、男は首から下が不随となってしまう。事故の影響で心を閉ざしてしまった恋人に省みらなくなった女は思わず加害者の夫に慰めを求めてしまうが…というかなり重い内容の恋愛ドラマ。誰が悪いわけではないのにお互いを傷つけてしまうという展開だけど、悲劇を強調せずに淡々と映し出しているのがいい。静かにゆっくりと悲しみが伝わってくる。ラストの余韻もいい。邦題の意味を改めて考えさせられた。(2004/2)

『ルビー&カンタン』(2003仏)

性格の違う二人連れがひょんなことから係わり合い、旅するうちに友情が芽生えていくというパターンは結構多いような気がする。最近でも「ル・ブレ」「女はみんな生きている」がそうだったし、しかもどちらも仏映画……ということはフランス人はこういうパターンが好きなのだろうか。移民国家をいわれるフランスのお国柄かなと根拠もないことを勘ぐってしまった。

それはともかく、この作品では気の合わない二人組みをジャン・レノ、ジェラール・ドパルデューという個性の強い二人が演じている。思わず笑ってしまったのは寡黙な男をジャン・レノが、アホ丸出しのお喋り男をドパルデューというまさにドンピシャリな役柄だったこと。正直言ってストーリー的にはこれと思うことはなかったが、このキャスティングはすばらしい。まさしくハマリ役だ。近年膨張し続けていたドパルデューの体も少しは引き締まっていたのも一応昔からのファンとしては喜ばしいことだった。ああ、でもそのぐらいかな。この映画に関して言えることは。つまりその程度の印象しか残らなかった。(2004/2)

『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(2003米)

今更説明不要なあの古典を映画化したシリーズの完結編。昨今の映画界ではオタク監督の台頭が著しいけど、中でも一番王道を歩んでいるのはこのピーター・ジャクソンだろうか。このシリーズが公開されたとき、監督も出演者もなじみのない名前ばかりで、宣伝文句は「ハリポタの原点」であり、しかもタイトルが「指輪物語」でなく「ロード・オブ・ザ・リング」なんていう間違ったカタカナ邦題だったので正直全く期待してなかった。なのに今の状況ときたらもう…。誰がこの映画によってここまで世界中に腐女子が増えたことを予想できたことだろうか。もっともP・ジャクソンは前に『乙女の祈り』というレズビアンの聖典といわれてるらしい作品を映画化しているし、案外女性のツボを心得た人なのかもしれないが(笑)

ということはともかく、三部作の完結編に相応しい完成度だった。よくまあここまできっちりとまとめてくれたものだ。一応、不満な点はちらほらあるにはあるけど、それは重箱の隅をつつくようなもの。とりあえずはこの壮大な物語をを一度も中だるみさせることもなく、隅々まで再現してくれた監督に心から敬意を表したい。

出演者達もそれぞれすばらしかったが、私が一番心を揺さぶられたのはセオデン王。とくに演説の場面はすばらしさには改めて大ベテラン、バーナード・ヒルの力量を感じさせられた。ストーリー的に最も光ったのはサム。実はこの物語の主役は彼なのではと思うほど熱いドラマを見せてくれる。この姿を見て涙しない人間がいるだろうか(…若干「映画秘宝」の影響あり)。他にも見所はいろいろあるのだが、間違いなくいえるのはこれは何があってもスクリーンで観るべき映画だということだ。(2004/2)

『ラブ・アクチュアリー』(2003米・英)

今の世の中に面白いラブストーリーを成立させるのはなかなか難しい。既にあらゆるパターンが出尽くしているうえに、障害物も昔に比べれば少ないから。ではどうするのかというと、この映画では九つのパターンを16人の男女によって繰り広げている。なるほどこれだけエピソードがあれば、どれかひとつは好みに合うというものだ。

実際、ハッピーエンドだけじゃなくビターなものも含まれていたのがいい。なかにはいくらなんでも…というのもあったけどね(コレに関してはぜひアメリカ人の反応を知りたいものだ)。少々駆け足気味なところもあったけど、もともとはクリスマス・ストーリー。あわただしいのは当然かもしれない。ところで、これクリスマス・ストーリーなんだから、バレンタインじゃなく12月に公開して欲しかったなあ。なんでこの時期にというのが一番の感想。あとイギリスのベテラン勢が勢ぞろいしたキャスティングもよかったが、やはり一番印象に残ったのこったのはローワン・アトキンソン。台詞も出番も少ないけどイギリス喜劇俳優の力量をまざまざと見せ付けてくれた。いやあ、さすがチャップリンやモンティ・パイソンの国だね。(2004/2)

『ニューオリンズ・トライアル』(2003米)

原作はグリシャムの『陪審評決』なのだが、たばこ会社から銃器メーカーへ変えられ、おまけに舞台も変わっているせいか原作とはずいぶん印象が異なっている。もっとも原作を読んだのはずいぶん前なのであまり具体的なことは覚えていないのだが。

あるサラリーマンがリストラされた元同僚によって射殺され、その未亡人が銃器メーカーを訴えるが、殺人事件の賠償を銃器メーカーに求めるというのは初めてのケースなので、メーカー側としては何があっても勝たなくてはならない。なぜなら一度負けてしまえば、似たようなケースの裁判が続出するからだ。ということで、ジーン・ハックマン率いる陪審コンサルタント集団が登場し、対するダスティン・ホフマンの弁護士と対決するが、謎の男ジョン・キューザックが両方に陪審員の票を売りつける…というストーリー。

相変わらずグリシャムものだけあってアメリカ社会の病巣を描くのが上手い。銃規制に関しては「ボーリング・フォー・コロンバイン」の強烈な批判が忘れがたいが、あれから一年経たずしてこういう作品が作られるようになったのは、それだけ問題視されるになったからだろうか。だとしたら、映画の力もすごいものだ。

アメリカの陪審制度については日本推理作家協会報2003年10月号の「直井明のミステリーよもやま噺(十四)アメリカの陪審員」が詳しいが、それによると結構大雑把な選出しているらしい。ではその後どうするのかと思っていたら、こういう風に選出していたとは…。陪審コンサルタントという職業も含めてアメリカのお国柄が伺えてなかなか興味深かった。

なお、キャストではやはりジーン・ハックマンの悪役ぶりがあまりに似合っていて印象に残る。ダスティン・ホフマンの気弱そうな弁護士もジョン・キューザックの得体の知れなさもいい。ミステリー映画としては「ミスティック・リバー」よりはずっと楽しめる作品だった。(2004/2)

『アドルフの画集』(2002英加ハンガリー)

「”アイディンティティ”」で遅まきながらジョン・キューザックに注目している。デビュー当時の軽めの存在感だったけど今の渋さはかなりいい。とても好みだ。この作品でも渋さと軽薄さという相反する要素を自然に表現していてよかった。

内容はタイトル通り、ヒトラーが政治活動を始める前の時代を描いたもの。売れない画家として鬱屈した時期を過ごしていたヒトラーは裕福なユダヤ人に敵対意識を持つようになったというのは何かで読んだ覚えがあるが、この作品だとそれほどユダヤ人に差別意識はない。むしろ潔癖過ぎて周囲から疎外された人物になっている。普通の人間だったヒトラーというのはなかなか斬新だ。ただし、ヒトラー役のノア・テイラーがヒトラーらしさを熱演しているものの、やはり本物の迫力に及ばないのが残念。とくに演説のシーンではドキュメンタリーで見たヒトラーの演説の迫力に比べると物足りなさを感じてしまう。やはりあのカリスマ性はなまじっかなことでは出せないのか…。

ところで、この映画の公開に合わせてヒトラーの絵画展が予定されていたのだが、どういうわけか中止されてしまった。ヒトラーの芸術的才能がどのくらいのものなのか興味があっただけに残念だ。(2004/2)

『ハリウッド的殺人事件』(2003米)

なぜこれを観にいったのかというとタイトルが「〜殺人事件」とあったから。だけど正直言って、これは観なくてもいい映画だった。とはいえ金と時間を無駄にしたと憤るほどひどくはない。そこそこ楽しめる。でもそれだけなんだよね。後になんにも残らないのだ。

強いて言うなら、ハリソン・フォードの老け込み具合がつらかったということ。この人も「ブレードランナー」の頃は結構カッコよかったのになあ。今でもアクションとラブシーンをこなしているけど、もうあの頃の輝きは一切感じない。むしろ年老いてまだこんな程度のことしかできないのかと情けなくなる。この調子だとショーン・コネリーのように化けることもなさそうだし、なんて悲しい歳の取り方をしてるのだろうか。ジョシュ・ハートットも存在感なし。見た目は悪くないけどね。でもモテモテにはとてもじゃないが見えない。

ああ、ホントにキャストにもストーリにもまったく魅力を感じない凡作だった。(2004/2)

『シービスケット』(2003米)

私はアカデミー賞ノミネートというような宣伝文句の付いたものはあまり好まないのだが、掲示板で松本さんから「アメリカ映画の王道を行く傑作」と言われ、競馬に全く興味がないのにも関わらず行ったもの。確かにこれは観てよかった。いい映画だなとしみじみ思えた作品だった。今年のアカデミー賞は個人的には「ロード・オブ・ザ・リング」にがんばってほしいけど、これは手強いかもしれない。

ちなみにこの映画で最もよかったと思うのは感動を押し付けてこないところ。「ラストサムライ」の過剰な演出に辟易していたので、この抑え方はとても心地よい。キャストもそれぞれ役柄に合っていたと思うが、一番印象に残ったのはウィリアム・H・メイジャーだ。これは役柄のせいもあるだろうが、つい堅苦しくなりそうな雰囲気を和らげてくれた貴重な存在だと思う。あと、びっくりしたのがアイスマン役のゲーリー・スティーブンス。アメリカでは有名な名騎手だそうだが、自然な演技で全く違和感がない。役者としてもやっていけるのではと思うほど。

レースのシーンもすばらしく、これはまさしく映画ならではの迫力だった。(2004/2)

『かげろう』(2003仏)

美しい未亡人と不良少年のはかない恋を描いた文芸作品。残念なことに予告で一番いい場面を使っていたために本編ではあまり感動が得られなかった。他に使える場面も少なかったとはいえ、これはある意味悲しい。

ストーリーはあまり起伏はないけれど、その分登場人物達の内面をじっくり描いていて、観ている側としていろいろと想像させられた。キャストもエマニエル・ペアールがやつれ気味なのが退廃的で美しい。この人ももうそろそろ40歳になるはずだが、相変わらず可憐だなあ。だから、こういう役をやらせると生々しくなくてよく似合うのかもしれない。しかし、この映画で最もすばらしかったのはやはりギャスパー・ウリエルだ。野性味と繊細さが絶妙なぐらい両立していて目が離せない。10代でこの表現力はすごい。カンヌで話題になるのもうなづける。今から次作が楽しみだ。(2004/1)

『ミステッィク・リバー』(2003米)

先に原作を読んでいるので、どういう内容かは大体察していたけれど、原作で最も好きになれない点によりいっそう不満を感じてしまう。特に終盤のある夫婦の会話には怒りを通り越して呆れ果ててしまった。今のアメリカ人ではああいう考え方が主流なのか。

それはともかく、出演陣ではやはりティム・ロビンスが一番いい。複雑な役柄を抑制の効いた演技できっちり表現している。それにしてもティム・ロビンスはしばらく見ないうちに老け込んだなあ。役作りもあるのかもしれないが、若い頃が好きだったのでこの姿は結構悲しい。ケビン・ベーコンは今でも「フットルース」のイメージが強いが、いい具合に渋け込んでいるのにはびっくりした。この人は年取るほうがいい男になるタイプだったのね。しかし、一番インパクトがあったのはなんといってもローレンス・フィッシュバーンだ。サングラスにコート姿だと、どうしてもモーファイアスにしか見えないのだが…。おかげでいつ予言めいたことを言ってくれるのか不覚にも期待してしまったではないか(笑)。(2004/1)

『アイデン&ティティ』(2003日)

みうらじゅん原作田口トモロヲ監督によるバンド映画。冒頭のみうらじゅん、遠藤ミチロウ、大槻ケンヂをはじめ、当時イカ天で活躍していた人間椅子、マサ子さん、タマ等といった面々が当時のバンドブームとロックへの思いを語る姿に思わず胸が熱くなる。そうだよねえ。バンドはブームだったかもしれないけど、ロックへの思いはブームじゃなかったはずだ(…と思いたい。)

内容は原作&監督がそういう経歴だけあってものすごくリアル。とにかくインディーズからメジャーデビューするものの売れなくて…という苦労話が泣かせる。キャストもそれぞれハマリ役だったけど、一番似合っていたのは事務所の社長役の岸辺シロー。経歴が経歴だけにあの台詞には笑ってしまった。主演の峯田和伸も朴訥な感じがロック野郎らしくていい。(時々、口調が「プロジェクロX」のナレーションっぽくなるのはご愛嬌としておこう…)それにしても焼き鳥屋の店長が三上寛だとか、岸辺シローの事務所にさりげなく若い頃の写真を飾ってあるとか、いろいろと細かいところに遊びがあるのが愉しい。見ていると嬉しくなる。強いて難点を挙げるなら、麻生久美子の役だけが今ひとつ非現実的ということかな。いくらなんでも出来すぎだと思うのだが…。

曲もそれぞれよかったけど、やはりなんといってもエンディングのボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が最高だった。作品へのいくつかあった不満はこの一曲で全て吹き飛んでしまったもの。さすがボブ・ディランだ。(2004/1)

『10ミニッツ・オールダー イデアの森』(2002英独他)

「人生のメビウス」はストレートな話ばっかりだったのに、こちらはひねりのある話ばかりでほとほとに解釈に困ってしまった。たぶん観たこともない監督の作品が多かったせいもあるけれど、同じ10分でこうも変わるとは…。

とはいえ、ベルトルッチはアジア志向はいかにもという感じであり、サボーとシュレンドルフのどこかベシズムな雰囲気もまたこの人達らしい。フィギスの前衛的な手法とドゥニの哲学的な会話には少々辟易してしまったが、メンツェルはテーマへのアプローチはストレートなだけに胸を打つ。しかし一番すばらしかったのはラドフォードだ。ブラッドベリのSF短編のようなストーリーを美しい映像と静謐な雰囲気で重厚な作品に仕立て上げている。わずか10分とは思えないほど密度が濃い。そしてラストを飾ったゴダールは、ゴダール節炸裂といいたいぐらい過去の作品のエッセンスを詰め込んでいるのがいい。しかしこれ、まさしくトリにしないと収まらないような内容だね。そこら辺もゴダールらしいと言おうか。

なにはともあれ「10ミニッツ・オールダー」時間と予算をかけなくても名作は作れるのだということを証明してくれたすばらしいコンピレーションフィルムだった。(2004/1)

『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』(2002英独他)

時間をテーマに各監督がそれぞれ撮りおろした連作短編映画。10分という時間と予算だけがきっちりと決まられてあとの内容は監督次第だとか。そのせいか、どの作品も実に監督の個性あふれるものばかりだ。

アキ・カウリマスキはこの間公開された『過去のない男』の別バージョンのようだし、ビクトル・エリセは家族ドラマの中にさりげなく時代を潜ませてくる。ヘルツォークは『アギーレ神の怒り』『フィッツカラルド』のように秘境を題材にし、ヴェンダースは良質なアクションものに仕立て上げてる。スパイク・リーはストレートに政治を語り、チェン・カイコーもまたこの人なりに現代の中国の姿を皮肉っている。ただ一人、ジャームッシュに関しては実はまだ作品を観たことがないにで個性がつかめなかった。そのうち機会があったら観てみよう。どれも短いながらも見応えのある作品ばかりで嬉しかった。(2004/1)

『飛ぶ教室』(2003独)

ケストナーの名作を本場ドイツで映画化したもの。舞台を現代に移してできる限り今の風俗を取り入れた作りになっている。原作にかなり忠実であるが、原作のファンとしてはどうしても原作との違いが気になったしょうがない。なにか不自然なのだ。合唱団のある学校というのは寄宿舎という設定のためにしょうがないとはいえ、肝心の「飛ぶ教室」の上演内容には泣けてしまった。いや、あれは正直言って勘弁してほしいなあ。いくらなんでもケストナーにヒップホップ系はないだろう。似合わなさすぎる…。今の子供たちがああいう音楽が好きなのは分かるけど、あと数年したらとんでもなく古びた描写になることは間違いなしじゃないか。「飛ぶ教室」は不朽の名作なのだ。そんな惨めな真似をさせないでほしい。だれか原作に完全に忠実な映画化をしてくれないものかな。これ一本だけでは悲しすぎるもの。(2004/1)

『女はみんな生きている』(2001仏)

平凡な主婦が事故現場に置き去りにした娼婦と関わることによって思いがけない事件に巻き込まれていく…。テーマはおそらく「女性の自立」なのだろうが、歯切れのよいリズムで次々と展開していくので鼻に付かないのがよかった。フェミズムも世紀を越えるとずいぶん肩の力が抜けたものだと思う。といっても女性であることはやはり生きにそうだが(とくにイスラム教圏あたりでは)

女性の自立以外にも親子関係や世代間の隔絶など様々な問題が描かれているが、どれもそれなりに決着がついて後味がいい。娯楽性と社会性をバランスよく両立した佳品だった。

ちなみにマフィアのボス役としてヴォイテク・プショニャクが出ていたの驚く。この人が『ダントン』で演じたロベスピエールは好きだったので、ここでめぐり合えてとても嬉しかった。(2004/1)

『ラスト サムライ』(2003米)

先月公開の話題作。明治維新の日本を舞台にアメリカ軍人が日本で武士道にめざめていく様を壮大なスケールで描いたものだが、正直な感想は可もなく不可もなくといったところ。ただし、こういう映画に付き物の間違った描写が少なく丁重に風俗を描いているのには好感を持てた(とはいえ、それはどうかなと思う箇所はちらほらあったが…)

キャストで一番印象に残ったのはやはり渡辺謙。あの存在感には圧倒されてしまう。英語も上手いし、語学力でもトム・クルーズを上回っていたように思った。というかトム・クルーズは彼じゃなくても演じられそうに見えてしまうのだが…。強いてトム・クルーズでよかったなと思う点は彼が小柄だということ。おかげで日本人といても圧迫感がなくていい。あれが身長190pとかの俳優だったら、さぞかしカメラは苦労したことだろうし。

それにしてもこの映画で一番不満だったのはエンディングロールの長さだ。そりゃキャストもスタッフも山のようにいるから仕方ないんだろうけど、延々人の名前だけが続く画面を見せつけられたのには閉口した。あれではいくら感動的なラストであっても感動が薄れてしまうではないか。ここら辺もっと工夫してほしいものだ。(2004/1)