読書感想ノート(2004/10-12)

『伯林白昼夢』フリードリッヒ・フレクサ(ビブリオテカ・プヒプヒ3)

コミケで発売されたプヒプヒさんの新刊。『不子語の夢』の中でも言及されていた作品の原典だとか。余談だが、これを購入するために、プヒプヒさんのスペースにお邪魔したら、小林晋さんと滅こおるさんと素天堂さんが一堂に会するという歴史的瞬間に立ち会ってしまった。コミケとは思えない、しかしコミケでしかありえない顔ぶれではないだろうか。

それはともかく、ベルリンは退廃の似合う街だと思っている。とくに第一次大戦後から第二次大戦に突入するまで、ナチス・ドイツが台頭する前のベルリンには退廃に関することなら何でもあったとイメージがあったりする。これは映画『キャバレー』の影響のせいなのだが。でもこの物語を読むと、それはあながち間違いじゃないかもしれないと思えてしまう。それほどまでに、この物語の非現実的な浮遊感は強烈だった。どこから夢は始まっていたか、ラストに至るまで分からないのだ。なお、このタイトルは訳者の趣味で決めたそうだけど、とても似つかわしいと思う。あと、小酒井不木に通じるものがあるというにも同感。これは乱歩と不木のファンにぜひオススメしたい一遍だ。(2004/12)

『反社会の島』現代ソビエト・SFシリーズ(プログレス出版所)

ソ連で出版されたというSFアンソロジー。翻訳文が怪しいという噂を聞いたことがあったけど、なるほど読みにくい。もともとソ連のSF自体が読みやすいものじゃないけれど(これはSFファンじゃないので、そう感じるのかもしれないが)、それにしても全体的に文章がぎこちない感じがする。目次もないし、奥付もない。当然解説もなくて、作家紹介が少しあるだけ。収録作はそれなりに面白いものもあったけど、そうじゃないのもあって、まさしく玉石混合という感じだった。体裁を変えて出し直したら、結構読めそうな気もするが、どうだろうか。もっとも、このシリーズは存在自体が珍しいのだから、それ以上望んではいけないかもしれないが。

ちなみに、収録作では「演習所」が印象的だった。ラストの情景がいい。ありがちな展開だけど、やっぱりこういうシニカルさが好きなので。逆に表題作の「反社会の島」は、あまりのつまらなさに、どうしてこれが表題作になったのか理解に苦しんだ。これでは確かにこのシリーズをつまらないと思う人が多くても無理ないかもしれない。(2004/12)

『まひるの月を追いかけて』恩田陸(文藝春秋)

行方不明になった異母兄を兄の婚約者と一緒に探す旅に出たが、兄の婚約者と名乗った女性が別人であることが発覚する。果たして、その女性の目的はなんなのか。兄はどこへ行ってしまったのか…。

最近の恩田陸は傾向として好きになれないものが多くて、敬遠しがちだ。初期の作品は面白いものが多かったので、なんとなく寂しい。もっとも作品数が一気に増えたので読むのが追いつけないせいもあるけれど。初期の頃から一環して変わらないのは読みやすさだろうか。繊細な表現力でいつの間にかこちらを物語の中に引き込んでしまう鮮やかさは、この作品でも健在で気が付くとラストまで一気読みしてしまった。ただし読み終えた後、残るものが少ない。結局、なにがどうなったのか曖昧すぎてよく分からないのだ。正直いって、この程度の物語なら小説で読む必要はないとまで思ってしまう。だって、少女マンガでいくつか似たような内容の作品があるかれど、そちらのほうが表現が上手いと思うから。この作者の感覚はマンガ世代そのものであり、だから時として深く共感することも多いのだけど、今のところ影響を受けてきたマンガを超える作品を生み出してないように感じる。力量は感じる人だけに残念だ。(2004/12)

『レオナルドのユダ』服部まゆみ(角川書店)

レオナルド・ダ・ヴィンチという天才を巡る愛憎劇。語り手は、地方貴族の嫡子で気位の高いフランチェスコ、フランチェスコの乳母の息子のジョバンニ、ダ・ヴィンチに敵意を抱く人文学者パーウロの三人。主な語り手は、ジョバンニとパーオロなのだが、合間にダ・ヴィンチ自身の夢想が挟まれるという構成になっている。

圧倒されたのが、ジョバンニが語るパートだ。フランチェスコと一緒にダ・ヴィンチを崇拝するものの、真っ直ぐにダ・ヴィンチを慕うフランチェスコに身分の違いから引け目を感じ、それが元で嫉妬するようになるあたりの複雑な心の動きがいい。こういう状況にいたら、誰でも抱いたかもしれない感情を通じて、逆にダ・ヴィンチの偉大さが浮かび上がってくるのだ。そしてパーオロの憎しみはもっと激しい。そもそも、最愛の友人がダ・ヴィンチに傾倒していくのが許せなくて喧嘩別れしたという極めて個人的な理由から憎むのだが、それでいてダヴィンチの芸術のすばらしさは理解している。嫌いながらも惹きつけられるあたりにストレートな賛美よりも真実味を感じてしまう。そして、この感情がラストで明かされるダヴィンチの意外な真実と結びつくのだが、この展開は鮮やかのひとことだ。自身も銅板画家として活躍した作者ならではの作品だった。(2004/12)

『劇画の星をめざして』佐藤まさあき(文藝春秋)

劇画家の佐藤まさあき氏の回顧録。貸本マンガの始まりの頃にデビューし、やがて人気劇画家として超売れっ子となるものの、人気を落としていくまでのことが実にリアルに描かれている。とくに売れっ子作家時代の生活ぶりが凄まじいの一言だ。漫画家生活の厳しさは、先日ある所で伺ったばかりだが、よくまあ体が持つものだと驚かされたものだった。ここでもやはりその厳しさに改めて驚かされる。こんな過密スケジュールでちゃんと作品を生み出せるのだから、すごいとしかいいようがない。

その反面、時間に追われ、お金があっても使う暇がないので、散財するときは一般人には理解できないような使い方をしたりする。クルーザーを購入し、家の中に滝が流れるような改築をするとか。しかし、派手に浪費していると、アシスタント達から反発され、ナマイキだからとクビにしようにも主要キャラを任せているので、おいそれと切れない。別のアシスタントを練習させ絵柄が安定したところで切るというあたりは、作品そこぬけのドロドロさで野次馬的に見ると、なかなか楽しい。とにかく最初から最後まで壮絶としかいいようがない内容だった。(2004/12)

『願い星、叶い星』アルフレッド・ベスター(河出書房新社)

ベスターの日本で独自に編まれた短編集。ベスターは、中学生の頃に『虎よ、虎よ!』と『分解された男』を読んだきりなのだが、両方ともとても面白かったことだけはよく覚えている。SFファンではなかったので、それ以外の著作は探してまで読まなかったけれど、この本の巻末の著作リストを見ると、実はあまり作品がなかったということに驚かされた。しかも、一番評価が高いのは『虎よ、虎よ!』と『分解された男』とは。ある意味、幸運な読み方をしてたのだと改めて思う。

ちなみに、この短編集だが、好みに合うものと合わないものとの差が大きい。私が一番好きなのは『選り好みなし』だ。最初から周到にラストが仕掛けられているのがいい。逆に初期代表作だという「地獄は永遠に」は描写がまどろっこしく感じられて、その世界観に最後まで馴染めなかった。(2004/12)

『衣装戸棚の女』ピーター・アントニイ(創元推理文庫)

『アマデウス』の原作でよく知られているピーター・シェーファー(実は兄弟で執筆している)が別名義で発表したミステリ。田舎町のホテルで起きた密室殺人事件を素人名探偵が解き明かすというオーソドックスなクラシック・ミステリ。古きよき時代の雰囲気をたっぷりと味あわせてくれるので、クラシック・ミステリ好きにはこたえられない。なんといっても探偵役の設定がいい。切れるけど、もったいぶった言い回しを展開してくれるので、途中で何度じれったくなったことだか。でも名探偵というのはこうでなくちゃねとある意味嬉しくなったが。探偵の友人であるスコットランド・ヤードの警部も探偵に負けないぐらい印象的だ。なるほどこの二人ならどんな難しい事件でも解決するだろうと登場した瞬間に思わされてしまうほど。被害者の人物像も強烈でいい。悪の体現をこういう風に表現するのは少々古めかしいけれど、具体的に殺伐とした事柄を挙げるよりも逆にイメージしやすい。ここら辺の描き方の上手さは劇作家ならではかもしれない。ヴェリティものはシリーズとして何作か出ている出ているらしいが、あいにく翻訳はこれだけ。いつか某出版社あたりから続きが出ないだろうか。(2004/12)

『クライマース・ハイ』横山秀夫(文藝春秋)

1985年の日航機墜落事件を取材した記者たちの怒涛の一週間を描いた人間ドラマ。

横山秀夫というと『顔』や『半落ち』の印象が強いせいか、ミステリ作家のイメージがあるけれど、『出口のない海』やこの作品を読むと、ミステリという範疇ではくくれない人なのだということを感じる。これもミステリ的な要素(主人公の友人が病気に倒れた理由)はあるけれど、謎解きは重要な要素ではない。大事なのは最終的に主人公の選んだ方向なのだ。そこに至るまで、いろいろな人間がいろいろな形で関わってくるけれど、誰もそれなりに哀しみを背負っているのがたまらない。しかも、誰も悪くないのだけど、状況は確実に悪くなっていくのだ。どこの組織でも今でもよくありえることだけに身につまされる。やりきれないものもあるけれど、これぞまさしき男達の生き様を描いた骨太なドラマだ。(2004/12)

『古本屋の女房』田中栞(平凡社)

横浜の古書店「黄麦堂」夫人による古本エッセイ。本好きが高じて、古本屋さんと結婚し、子供が生まれても近所から地方の古本屋さんまで子連れで飛び回るという奮闘記だ。これは子供のいる本好きには涙なしには読めないかもしれない。かくいう私も子供こそいないけれど、この本に出てくるようなことはやったことはあるので、この中のの苦労話にはこみ上げてくるものが多い。こういうことって後で語ると、それなりのことしか思われないけど、実際には言葉にできない部分でいろんなことがあるのだ。帰り道でタクシーが捕まらないときの心細さは、本当に切ない自。業自得とはいえ、思わず自分の業の深さを呪いそうになったものだ。と、ずいぶん身につまされたせいか、こういう体験談を読むと嬉しくなる。もっとも、私はここまですることはないだろが。本が好きで、処分できないぐらい本を抱え込んでいる人にぜひ読んでいただきた一冊だ。(2004/12)

『それでも警官は微笑う』日明恩(講談社)

第25回メフィスト賞受賞作。体育会系の強面の刑事と、茶道の家元のお坊ちゃま刑事のコンビが出自の不明な銃器の捜査をするが、そこに元獣医の麻薬取締官も絡んできて、事件は思わぬ方向に流れていく…。

一見ノリの軽いTVドラマのような内容なのだが、途中からオーソドックスな警察小説へとなっていく。どちらかというと最初の明るいテンポのほうが好きだったので、終盤のシリアスさはちょっと物足りない。シリアスな警察小説なら、いくらでもあるけれど、コメディタッチの警察小説はそうないからだ。とはいえ、社会問題をちらりと風刺するなどといった作者の姿勢がいたって真面目なのが好感持てる。出だしを思うと、ラストは手堅くまとめ過ぎて、やや不満なのだけど、きちんと納めてた点はすばらしい。これ1作だけでは判断しにくいのだが、もしかするとこの作者の力量をこちらの予想以上にあるのかもしれない。女性と思えない骨太な描写もあるので、次回作が結構楽しみだ。(2004/12)

『愚か者死すべし』原りょう(早川書房)

原りょうの新作をどのくらい待ち侘びただろうか。実言うともう新作は読めないのではと何度も思っていた。というのは、数年前の国際ブックフェアでブリジット・オベールの対談の相手をして来られた氏にファンから当然のように新作についての質問が出たのだが、いつになるか分からないというはなはだ心もとない返答だったからだ。そのときの言葉でよく覚えているのは携帯電話のこと。沢崎が携帯電話を持つことはありえないが、しかしそんなことで現代を舞台にした作品が書けるだろうかとおっしゃっていたのだ。確かに沢崎に携帯電話は似合わない。そんなものをかけ離れた世界が沢崎の魅力なのだから。ということで、この新作ではどうなるだろうかと案じていたら、沢崎はやはり携帯電話を持たないままなのでとても嬉しかった。やはりそうでなくてはね。

展開は相変わらず適度にスピーディ。しかし、何よりも酔わされるのは洒落た会話の数々だ。どうして、この人の手にかかると、引きこもりの若者や映画オタクですらカッコよくなるのだろうか。この点で一番印象に残ったのは、興信所の事務の女性と沢崎の会話だった。女性の恋愛問題にさらりと回答を与える沢崎のカッコよさには心底しびれてしまう。これだけでも新作を待った甲斐があるというもの。もちろん会話以外もすばらしい。巧みに張り巡らされた伏線が終結するラストには読み終えた後、また最初から読み直したくなるほど密度が濃い。ところで、あの青年はこの後どうなったのだろうか。瑣末なことながら密かに同情した。(2004/11)

『虚貌』雫井脩介(幻冬舎)

発端は、ある一家の惨殺事件。運送会社を解雇された男達が社長を逆恨みして犯行に及ぶ。犯人たちは捕まったが、21年後に出所した主犯格の男はなぜか共犯の男達を殺し始める。なぜ彼はそうするのか…。

正直いってやりきれない話だ。なによりもうんざりしたのは救われて欲しいと思った登場人物が救われず、こんな奴がというのがのさばるからだ。犯罪小説だから、それぞれに影があるのは当然なのかもしれないが、心の闇ばかり熱が入ってるように感じられてしまう。やっぱり何があろうと、どんな理由があろうとも悪いことは悪いし、罪を犯せばそれなりの報いを受けて欲しいと思う。だから、こういう小説にはどうしても馴染めない。

とはいえ、文章は読みやすく、心理描写もきめ細かいので、読み応えは十分ある。もう少しラストをすっきりしてくれたら、余韻ももっとあったかもしれない。(2004/11)

『黒い終点』中村真一郎(角川選書)

中村真一郎というと最初に思いつくのが『深夜の散歩』だ。おかげで純文学作家というよりミステリ好きな純文学作家という印象が強い。ミステリファンではあるけれど、ミステリを書くとどうなるのだろうかという疑問はこの短編集で解消された。ちなみにこれは『黒い終点』としか表記されてないが、短編集である。

内容は最初の作品がアクションスリラーなので、全編そういう系統かと思いきや、後半の作品から幻想的なものへと変わっていく。ミステリは好きだけど、書くことは難しかったのだろうか。どれも印象的な話なのだが、どこか苦悶してるような感じがする。作者のことばでも戦争の傷あとの物語ばかりとあったけど、どれもほろ苦い。とくに「城への道」の不条理なラストに何度も読み返してしまった。恐ろしくも悲しい物語だ。(2004/11)

『われらが英雄スクラッフィ』ポール・ギャリコ(創元推理文庫)

第二次世界大戦のジブラルタルではサルがいなくなったとき英国軍も居なくなるという言い伝えがあった。そのために英国軍では一応サル担当仕官を設けているが、実はあまりやる気はない。ようやく真面目な主人公が着任して仕事に精出すが、上官からは逆に嫌がられてしまう。おまけにサルのスクラッフィは手の付けられぬ乱暴者でいつも問題ばかり起こしている。とうとう主人公は責任を取らされ左遷するが、その間に言い伝えを利用しようとするドイツ軍によってサルたちの危機的状況が伝えられると事態は一変するが…。

ギャリコというと、なんとなく心温まるファンタジーというイメージだったけど、実はとても多彩な人なのだということを遅まきながら知る。とにかく展開の見事なのだ。ユーモア冒険小説というより一匹のサルを巡るドタバタ劇なのだが、およそ考えられるぐらいのことが全て詰まってる。ロマンスに迷信、思い込みと誤解、策略と偶然。一つの出来事が次々と事件を引き起こしていく有様は本でありながら映画を見ているような錯覚に陥りそうだった。それほどまでに情景が鮮やかに描かれているのだ。結局、最初から最後までスクラッフィを中心としているのもいい。たかがサル、されどサルなのだ。(2004/11)

『女の家』日影丈吉(徳間文庫)

銀座の女ばかりが住む家で女主人が不慮の死を遂げた。度々、自殺を繰り返していた彼女の死は自殺か。それとも…。

全集は買っているけど、重くてなかなか読むことができない。なので、文庫で読める作品は文庫で読んでしまおうと思ってるのだが、文庫もすぐには出てこないので、困ってしまうこと多い。実はこれも読みかける最中で文庫が行方不明になり、ようやく発掘できたので読み終えることができたのだ。永らく中断していたせいか、もう一度最初から読み直すと、ずいぶん印象が変わる。とくに設定や描写に関しては、昔はあまり気にならなかったけど、今読むとかなり古めかしい。とくに銀座に関しては、こんな時代もあったのかと思うほど。でもラストの余韻はさすがで、しみじみと心に残った。今ではありえないような設定だけど、こういう雰囲気はいつまでも残っていてほしい。そう思わされた物語だった。(2004/11)

『君はぼくの母を好きになるだろう』ネイオミ・A・ヒンツェ(早川書房)

新婚間もないうちに夫を亡くした若い人妻が身重の体で夫の実家を訪ねる。生前の夫の「君はぼくの母を好きになるだろう」という言葉を支えにしてきたが、出迎えた姑は主人公にとても冷たい。しかし、なぜか帰ろうとする彼女を引きとめる。やがて洪水のために帰ることができなくなり、冷たい姑と知的障害の小姑の居る家で出産することになってしまうが…。

なんといっても、この設定が恐ろしい。これがどのくらい怖いかは、夫の実家で不自由な思いをした人ならすぐにぴんとくるはず。幸いなことに私はあまりそういうことはないのだが、それでもこの主人公の置かれた立場の恐ろしさは察して余りあるものがある。それはともかく、この作品は出だしから中盤までは大変緊迫した雰囲気で楽しめたが、後半に差し掛かると凡庸なサスペンスになってしまった。もっと怖いことになると期待していたので、とても残念だ。これならTVの人生相談のほうがもっと怖いかもしれない。でも、現実でこの手の怖い話はあまり聞きたくないけれど。(2004/11)

『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ(新潮社)

帯の文句では不条理な恐怖とあったけど、恐怖はそんなに感じられなかった、それは環境のせいだろうか。それともロシアという国はまだこういう状況は恐怖なのだろうか。だとしたら、そのほうが私には怖い。物語自体はどちらかと言うとシュールだ。なにせペンギンを飼いながら、まだ生きてる有名人の追悼文を書くのが仕事という設定なのだから。しかも、一言も語らないペンギンが実は物語の格だったりする。これを自然にさらっと描けるあたり、この作家の力量は半端ではないと思わされた。それにしても、どうしてロシアの物語は一見心温まる状況に置いても、どこか寒々としているのだろうか。この話でも主人公は擬似家族を作り上げ、何にも不満のない環境になったにも関わらず、その平穏さを決して信用しない。信用しないから大事にもしない。この二面性にソビエト時代のロシア人の在り様を見てしまうのはうがちすぎかもしれないが、ロシアならではのペシミズムかもしれない。ちなみにラストは鮮やかだ。久しぶりにストンと落とされた。(2004/11)

『ボーイズラブ小説の書き方』花丸編集部編(白泉社)

タイトルの通りボーイズラブ小説の書きかたの指南書。「風と木の詩」はリアルタイムに読んでいるし、JUNEは創刊号から買っていたけれど、実はボーイズラブについてはあんまり知らない。やおいとそう変わらないだろうと思っていたが、どうやら違うらしい。ということで、ボーイズラブってなんなのかを把握したくて読んでみた。内容はいたってフツーのハウツー本。文章の組み立て方や表現の仕方等等。でも、でも、ペンネームやキャラの名前(ちゃんと受けと攻めに分かれてる)、あと官能用語などがあるあたりが、それっぽい。とはいえ、思わず膝をうってしまったのは、ボーイズラブがラブコメであるということ。もちろん全部のボーイズラブがラブコメではないけれど、主流はラブコメらしい。しかも、源流はちょっと昔の少女マンガだとあるのを読んで、深々とうなづいてしまった。なるほどなあ。確かに確かにキャラの作りやストーリーの展開は似ているかもしれない。なぜ、ボーイズラブ小説やマンガを読んで予想以上に楽しめたのか、これでようやく分かってきた。ということで、これからボーイズラブにハマってしまうかもしれない。そんな予感を今ひしひしと感じてる。(2004/11)

『絞首台までご一緒に』ピーター・ラビゼイ(早川文庫)

クリップ部長刑事とサッカレイ巡査のシリーズの7作目。なんといってもこの雰囲気が楽しい。ラビゼイはこういうスラップステイックな雰囲気作りが上手い人だけど、今回は『ボートの中の三人の男』を絡めているので、その筆の冴えはいつも以上に弾んでいるように感じた。これもある意味、ジュローム・K・ジェローム効果なのだろうか。ちなみに登場人物一覧でジェロームの名前があるので、もしやと期待したが、あいにく登場シーンはなかった。残念だ。もっともそれを言うと、もう一人名前だけで出てこない人もいるが、まああれはあちこちの作品で出ているからよしとしよう。つい最近も某フランスミステリに出てきたばかりだし。

ミステリ的な部分は最後で少々腰砕けみたいなものを感じたが、でもまあこういううオチを付けられるのもラビゼイならではだろう。とにかくヴィクトリア朝を舞台にここまで楽しい物語を綴ってくれたのだから、私としてはもうこれ以上望むことはない。(2004/11)

『甲賀忍法帖』山田風太郎(講談社文庫)

なんで今頃と言われてしまう名作。伊賀と甲賀の忍者の戦いを描いたあまりに有名な作品。さすがにこれだけ知名度のある作品だと初読とは思えないほど既視感にあふれてる。世田谷文学館の山田風太郎展の講演会で忍法帖の影響で技を使うときに技の名を名乗るようになったのでは、という質問がったけど、なるほど、このスタイルはとてもかっこいい。これは多感な時期に読んでいたら、思わず真似したかもしれない(もっとも、ここに出てくる技はどれもおいそれと真似できるものじゃないけれど)。予備知識ありすぎて真っさらな状態で読めなかったのは残念だったが、これは確かに血が熱くなる作品だ。もうじき映画化もされるそうだが、しかし、これの映像化は難しそうだ。この面白さを他の媒体で表現するのは生半可なことではできないと思うので。(2004/11)

『新聞社殺人事件』アンドリュウ・ガープ(H.P.B)

ロンドンのある新聞社の外報部次長である主人公はたたき上げの社員であるが、なかなか昇進できない。今度こそと思ったが、家柄のいい若手の社員にその口を奪われて憤る。しかも次長の職さえ解かれ、海外特派員になるよう任命されることになる。長年の不満が一気に爆発した主人公はあることを計画するが…。

なんて恐ろしい話だろうか。だって、長年会社に尽くしてきたにも関わらず功績を認めてもらえないという例は、今の時代でもそう珍しいから。それだけに、この設定には身につまされてた。しかし、こういう設定をさらりと思いつくあたり、ガープは本当にすごいなあと思う。考えてみると、この人の作品は、どれも古さを感じさせない。『モスコー殺人事件』では共産政権の勢いのよかった頃のモスクワを舞台にして上質なミステリーをきっちりと展開させていたけれど、あの作品で強く印象に残ったのは、登場人物たちの置かれた状況だった。一人一人の行動に無理ないというものを感じさせられたのだ。この作品でもそれは同じで、主人公の身勝手な行動に関しても、心のどこかで共感してしまう。だから、ラストに至るまで一気にストーリーに引き込まれた。もっとも、作者の視点は主人公寄りでなく、主人公に対してもかなり厳しい。これが昨今のノワール小説なら主人公に完全に添った視点になるのだろうか。最近の心の闇ばかり追求する小説に少々辟易しているので、ガープのこういう悪いことは悪いのだという姿勢はとても気持ちがよかった。(2004/10)

『薔薇密室』皆川博子(講談社)

ドイツとポーランドの国境にある朽ちかけた僧院を舞台に繰り広げられる禁断の実験。次々と変わる語り手たちによって紡ぎだされるのは、恐怖と美しさに満ちた世界だった…。

『死の泉』以後、近代ヨーロッパを舞台にした作品を相次いで発表している作者の最新作。七年ぶりの書き下ろし作品だとか。出だしから、この絢爛豪華な世界に圧倒されてしまう。とにかく世界観が美しい。咲き誇る薔薇と美しい若者、そして繰り返される一つのセンテンス、気が付くと読者は語り手の罠にまんまとハメられてしまう。しかし、この美しくも恐ろしい世界に少しでも入り込めるなら、それもまた愉しきことではなかろうか。ラストが予想とずいぶん違った風になったのは驚いたけど、前半の幻想的な雰囲気は、そのすばらしさに読み終えた後もまた何度も読み返してしまった。それにしても、こういう物語にリアルタイムに出会えることはなんという幸せだろうか。(2004/10)

『本棚探偵の回想』喜国雅彦(双葉社)

ついに出版された本棚探偵の二冊目。前作ではいろいろとお世話になりました。というのは、あれ以来、古書展で話しかけられることが増えたからだ。おかげで目録のあたりもよくなった……ということは残念ながらない。とりあえず、どういう人種が主な読者層なのかはよく分かったけれど。

それはともかく、この本を純粋な読者として見るのはなかなか難しい。いや、だって友人知人があちこちでネタにされているんだもの。一応、私もされてしまったが、これが悔しいぐらい的確に表現されている。とくに実行するかもしれないと書かれていた計画に関しては、確かにいつでも本気でやりかねないだけに、こうして書かれると、実はもう実行済だったのではないかと思い込んでしまうときがあるほど。どんどん現実と虚構の境界線が曖昧になっていきそうで怖い。

ちなみに、シリーズはまだまだ続くようなので、とても嬉しい。もっとも続けるためにはちょっと怖いことが控えていそうなので、ドキドキしながら待機している。(2004/10)

『壇ノ浦0番地』井上孝(大澤書房)

奇想小説ではあるけれど、あまりの作者のおふざけに途中で飽きがきてしまった。うーん、ユーモアは好きなんだけどねえ。でも、こういうお笑いは私の趣味じゃないので、さすがにうんざりした。結局、この小説はユーモアでもないし、奇想にしても中途半端なのだ。一体、作者はどういう意図で書いたのだろうか。やはり生活費のためのやっつけ仕事だったのか(これはありえそうなことだ)。どちらにしても小説よりも書いてる作者の精神構造に興味を持つぐらいだから、小説としての出来栄えはあまりよくない。いわゆる典型的なB級奇想小説だった。(2004/10)

『幻の指定席』山村美紗(文春文庫)

鉄道トリックを集めた短編集。大変失礼ながら、実はこの作者への関心はとても薄かった。ニ、三作読んだきりだが、どれも好みでなかったのだ。それ以来なんとなく敬遠していたのだが、あるときこれは面白いからと薦められた。で、読んでみると、意外(失礼!)に面白い。特にイチオシされた「新幹線ジャック」は思わず唸るほどすごいトリックだった。これなら今でも通用するかもしれない。あるいは映像化でもいい。設定を今の時代に変えれば、結構面白い映像作品になりそうだ。それ以外の作品も多少古臭いものもあるけれど、十分楽しめるものだった。今までこの作者についての関心は薄かったので、つい評価も低めだったけど、それは誤った思い込みだったかもしれない。これからはもう少し作品を読むように心がけよう。(2004/10)

『凶鳥の黒影』本多正一・監修(河出書房新社)

中井英夫へ捧げるオマージュと題されたアンソロジー。その名の通り収録されている作品はどれも中井英夫への熱い思いに満ちている。また構成が見事だ。前半に中井英夫をモチーフとした短編を収録し、後半でエッセイを載せているが、前半の短編の締めくくりに、なんと『黄泉戸喫』が収録されているのが嬉しい。いろんな作品を読んだ後にこれを読むのは、とても衝撃だった。そうなのだ。ここにある作品たちはみんな黄泉戸喫なのだ。そしてそれはこの作品集を読んでいる側も含まれるのかもしれない。だけど、そのためにこの至福の時間のためなら、惜しくはない…と思える。こういうこの編集をしてくれたことに深く泣けてしまった。そして(実はまだ亡くなったという実感はないのだけど)、これだけ大勢の方に愛読されてる中井英夫という存在を改めて大きく感じさせられた。(2004/10)

『赤い霧』ポール・アルテ(H.P.B)

19世紀末のイギリスのある村に記者を名乗る男がやってくる。彼はその昔、この村で起きた不可解な密室殺人事件を調べにきたのだが、調査が進むにつれて、また新たな殺人事件が起きてしまう…。

アルテは決して嫌いな作家ではないけれど、実は一部で騒がれるほどいいと思ったこともない。確かにこの人のトリックは面白い。不可能犯罪への愛情といったようなものを感じる。すれっかしのミステリ・ファンに向けて、ここまで堂々とやってくれる作品もそうないだろう。でも、さすがにこの作品に関してはいただけないの一言だ。二部構成にしたために、興味が一度途切れてしまったのもあるが、なんといってもあまりに有名な事件を題材にしたために、犯人の意外性が薄れてしまったのが致命的であると思う。少しでもあの事件に関する知識があれば、犯人の条件は絞られてしまうのだ。まあ、それでも最後の最後まで引っ掛けようとするあたりにアルテの心意気のようなものを感じて嬉しくなったが。事件が大掛かりになった分だけ全体の印象が散漫になってしまったように感じた。次作も出れば必ず読むだろうが、そろそろ期待感は薄れつつある。残念なことだ。(2004/10)

『第二の顔』マルセル・エイメ(創元推理文庫)

平凡な中年実業家の顔がある日突然変化する。二枚目の美青年となったのだが、誰も彼を本人だと認めてくれない。困った主人公は唯一変貌を認めてくれたおじに相談するが…。

マルセル・エイメの不条理な世界を生田耕作が翻訳というすばらしい一冊なのだが、思ったいたよりもありきたりな話だった。だって絶世の美青年となったというのに、この主人公が考えることは家庭のことばかりなのだ。どうやって自分のことを周囲の人に分かってもらおうかとか苦心するものの、当たり前だけど信じてもらえない。ようやく美貌の使い道を覚えたかと思いきや、相手は自分の妻だったりする。不倫を賛美するフランス人と思えないほど堅実な性格だ。しかし、読んでる側とすれば、もったいないの一言だが。結局、元のさやに収まるけれど、もっとドタバタしてくれてもよかったのにと思わざるを得ない。もっとも、不条理な描写はさすがではあったけど。(2004/10)

『老人と犬』ジャック・ケッチャム(扶桑社海外文庫)

愛犬と釣を楽しんでいた老人があるとき見知らぬ少年達に脅される。少年達は老人がはした金しか持ってないと知ると、代わりに愛犬を射殺する。少年達の暴力に憤った老人は少年達を追い求め始めるが…。

キング絶賛の鬼才が放つ動物愛護暴力小説という帯の言葉に惹かれて読んでみたものの、そんなに暴力的でなかったので、ちょっと安心した。実は暴力的な描写はあまり得意ではないのだ。それはともかく、この小説はノワールかと思っていたのだけど、どちらかというとハードボイルドに近い。それも古典的なハードボイルドだ。主人公の老人は老人と思えぬタフさで、マッチョなところなどは、まるでロバート・B・パーカーのスペンサーの年老いた姿のようであり、老人に追いかけられる少年達の姿にもスペンサー・シリーズのある少年と重なる部分を感じてしまう。そのせいか、少年達について描写が少々物足りなく思えたが、そういう話ではないので、それはしょうがないかもしれない。終盤にもう少しひねりがあると、なおよかったような気がするが、設定の割には後味のよい話だった。(2004/10)

『冬になる前に』矢崎存美(光文社文庫)

『ぶたぶた」シリーズの矢崎さんの短編集。ホラーとまではいかないが、奇妙な味に満ちた短編集だ。『ぶたぶた』のせいでなんとなくほのぼのしたイメージがあるけれど、実はこういう方向のほうが文体的にも似合っているのではと思わされた。というのは、ほのぼのとした語り口につい油断してくつろぐと、とんでもない方向に落とされてしまうからだ。最初の「グリーンベルト」でそれに気が付いたにも関わらず、残りの短編も同じ目に遭ってしまった。これはある意味恐ろしい。だけど、こういう落とされ方は結構好きなので、次第にゾクゾクしてきたが。一番印象に残ったのは「ひと時の砂」と「人殺しでもかまわない」だ。どちらもさらりと描かれた人間の業の深さが恐ろしい。『ぶたぶた』もいいけれど、またこういう作品を読んでみたいと思った。(2004/10)