読書感想ノート(2004/7-9)

『サム・ホーソンの事件簿V』エドワード・D・ホック(創元推理文庫)

ホーソンものの三冊目。このシリーズが三冊も続くとは、なんてすばらしいことだろか。最近はあちこちからいろんな本が出るようになったのだが、これもとても嬉しい一冊だ。願わくば「事件簿W」も出てくれることを願っている。それにしても、相変わらずトリッキーな作品ばかりだ。よくぞ田舎町という狭い範囲内でここまで事件を思いつけるものだと思う。ましてや全て不可能犯罪なのだ。ホックの発想の豊かさには心底恐れ入ってしまう。

私はあんまりトリッキーなのは苦手なので、本格ミステリのよきファンとはいえないのだけど、このシリーズだけは別格だ。気が付くと、いつの間にかこの語り口に引き込まれてしまうから。とはいえ、今回一番驚いたのは、ある登場人物の結婚話だったけれど。この人物はこの後もいろいろあるみたいだそうなので、ぜひその経過を知りたい。ミステリとは関係ないところだけど、シリーズもこれだけ続くと、登場人物に思い入れてしまうのだ。ああ、やはり「事件簿W」が読みたいなあ。(2004/9)

『犯人に告ぐ』雫井脩介 (双葉社)

横山秀夫、福井晴敏、井坂幸太郎の三氏による推薦の言葉が目を引く警察小説。神奈川県警の警視、巻島は児童誘拐事件を担当するが、強引な上司、曾根に振り回されて作戦は失敗し、児童は死体となって見つかるという最悪の結末になってしまう。責任を負わされた堂島は記者会見に出されるが、記者達の情け容赦ない質問につい感情的に答えてしまい、周囲から厳しく批判される。数年後、また連続児童誘拐殺人事件が発生する。堂島のかっての上司、曽根は再び、堂島を呼び戻し、自分の甥の植草と組ませるが…。

第一章の記者会見のシーンがとても印象的だ。警察の不祥事はニュースでよく流れており、記者会見も何度か見ているけど、答えている側について考えたことはなかった。それだけに報道の正義とはなんなのかと考えさせられる。ところが後半になると、逆にマスコミを利用して捜査するという驚くべき展開になるのだ。このつなげ方がとても上手いと思う。視聴率のために翻弄するマスコミ関係者の姿もリアル。ただし、女への未練から堂島の足を引っ張る植草は少々作りすぎの感がある。終盤もややあっけないように思えたけれど、この骨太さはいい。久しぶりに警察小説を堪能した。(2004/9)

『永遠の別れのために』エドマンド・クリスピン(原書房)

ダチョリー氏が訪れた村では中傷の手紙が横行していた。その手紙が原因で、ある裕福な婦人が自殺する。やがて、中傷の手紙の張本人を突き止めようとした外国人教師が死体で発見され、容疑は夫人と親しかった女性開業医に向けられるが…。

クリスピンを初めて読んだのは『消えた玩具屋』だったが、以来どれを読んでも期待を裏切られたことはない。だってどれも楽しくて面白い作品ばかりなんだもの。これも田舎の村を舞台にして、もちろん殺人事件はあるけれど、どこかほのぼのとした雰囲気がとてもいい。とくにラストには思わずにっこりとしてしまう。

真相は割とあっけない。たぶん誰が犯人なのかは大抵の人が途中で察しがつくだろう。でも個性的な登場人物が多いせいか、そういうことはあまり気にならない。登場人物の中で、とくに印象的だったのは父親と不仲な少女だ。この少女は物語のキーパーソンになるのだが、少女の複雑な心情と事件の絡め方がすばらしい。

こういう作品を読むと、クラシック・ミステリを好きになってよかったなと心から思う。これからもこんな作品をどんどん翻訳されることを願ってしまう。(2004/9)

『檸檬夫人』団鬼六(新潮文庫)

嗜虐的官能小説の第一人者、団鬼六の短編集。やはりこの人の官能小説は面白い。人間の業の深さをよく知り抜いてると思う。表題作の「檸檬夫人」は団鬼六の代表作『花と蛇』のヒロインとなった女性を描いたものだが、美しく気高いが、実はマゾヒストという夫人にサディストな主人公が引きずられていくところが面白い。精神的な力関係は完全に逆転しているのだ。結果として、主人公は血気盛んな年代であるにお関わらず、醒めていく。「老木の花」は65歳で女と駆け落ちしたという亡き父と同じ年齢になった主人公が今の自分にはそんな気力も体力もないことに気がついてしまうというもの。老いの悲しさをしみじみと感じさせる佳作だ。しかし、一番圧倒されたのは「勃起薬綺譯」だった。女道楽で有名だった友人が60歳を過ぎて女に体が反応しなくなったので、女遊びを一切止め、趣味の将棋道場を始める。最初は順調だったものの、息子の家庭騒動に巻き込まれていくうちに、また色恋への執念が甦ってしまう…。この豹変ぶりが面白く、また悲しくもある。人間、年老いても本質はそう変われないのだ。(2004/9)

『出口のない海』横山秀夫(講談社)

甲子園の優勝経験を持つ主人公は大学入学後、ヒジの故障のために活躍できない状況にいる。主人公は復帰を諦めず、「魔球」を投げる努力を続けるが、戦況がいよいよ厳しくなり、やがて学徒動員で召集されてしまう…。

横山秀夫は組織にもまれる人間の姿を描くのがとても上手い。この作品の主人公は本来なら戦争から一番遠いところにいるはずの人間なのだが、軍隊で厳しい生活を送るうちに、いつしか自分を見失い、「人間魚雷」という究極の道を志願する様になっていく。この過程が分かりやすくて恐ろしい。組織に組み込まれるというのは、こうして自分の個性を抹殺することなのだと気付かされるから。この点でとくに印象的なのは主人公の弟だ。国民学校に通う弟は出征する兄に「立派に死んでください」という。なんて恐ろしくて悲しいことだろうか。もはや戦後ではないどころか、戦後という言葉すら聞かれなくなった時代だけど、忘れてはいけないことはまだまだある。それだけにこういう作品が登場してくれるのはとても嬉しい。(2004/9)

『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午(文藝春秋)

2004年「このミス」1位。あちらこちらで話題になっていたけれど、確かにこれは面白い。何でも屋みたいなことをやっている主人公はあるとき行きつけのフィットネスクラブで知り合った女性から調査を頼まれる。かって探偵事務所に勤めていただけの主人公は断ろうとするが、女性に片思いしてる舎弟と共に事件の背景を探ることにする…。

なかなか感想を述べにくい内容だ。なぜかというと、気になったところが全てネタバレにつながるから。終盤で仕掛けが明かされるのだが、これがあっと言うほど巧みさで、思わず唸ってしまった。だけど、もう一度最初から読み直すと、少々あざとさを感じずにはいられないのだが。あと、悪役達の答弁について作者の見解を示して欲しかった。展開としてその余地はなかったのかもしれないが、あのままではなんとなく後味が悪い。逆にラストは絶妙なところで終わっているところがいい。タイトルと共に深く印象に残った。(2004/9)

『ゴールデン・サマー』ダニエル・ネイサン(東京創元社)

エラリー・クイーンの片割れであるフレデリック・ダネイが本名名義で発表した少年小説。あとがきを読むと、この作品に対してのダネイの熱意は並々ならぬものがあったらしい。それがなんとなく分かるような気がするのは、マーク・トウェインからスティーブン・キングに至るまで、アメリカ人にとって少年の夏は特別なものなのだという意識が刷り込まれているせいかもしれない。その例に漏れず、この作品もかなりノスタルジックだ。内容は自分をモデルにした主人公ダニーが過ごす”こがね色の夏”の思い出話。章と章の合間に、現在の自分がその当時の社会風俗について語るのだが、それがまた郷愁を誘う。全体の雰囲気も明るくて楽しいのがいい。いかにも正統的な少年小説という感じがする。ただし惜しむらくは主人公の性格だろうか。やはり、子供にしては金銭に執着しすぎる。ジェームズ・ヤッフェの序文によると、出版当時この点が評論家に不評だったらしいが、正直言って私も同感だ。どうして、こんな設定にしたのだろうか。この点さえなければ、とても好きにれる内容だったので、とても残念だ。(2004/9)

『名探偵は最終局に謎を解く』戸松淳徳(創元推理文庫)

あるデバートのお化け屋敷で主人公達は首吊り死体と遭遇する。慌てて人を呼びに行った合間に、なんと死体は消えてしまう…。

下町をシリーズにした高校生トリオの名探偵シリーズ三作目。前作から7年後に雑誌発表されたのを大幅に改稿した幻の作品。実言うと、前作を読んだのは結構前なので、細かいところはうろ覚えなのだが、全体の印象はあまり変わりないように感じた。ところで、私がこのシリーズで最も好きなのは、登場人物達の軽妙な掛け合いなのだが、その点は今回も絶好調なのでとても嬉しい。やはり下町ものはこうじゃなくちゃね。ただし肝心の事件についてはあまり関心を持てなかったが…。だって、どうしてそうなるのかという流れが今ひとつ分かりにくかいのだ。ラストで真相を明かされたけど、まったく予想できなかったものにも関わらず、驚くということはなかった。うーん、こうなるのなら、もう少し人情を絡めてほしかったような…。でも、やっぱりこの雰囲気は好きなので、次作ももし出たら必ず読むだろうなあ。(2004/9)

『あの薔薇を見てよ』エリザベス・ボウエン(ミネルヴァ書房)

長編が二冊、短編集が一冊、あとはアンソロジーに短編がちょぼちょぼと収録されている程度という日本では不遇な作家ともいえるボウエンのミステリー短編集。しかしミステリーと銘打ってるが、ミステリー味のある作品はない。むしろ、怪奇幻想的な雰囲気の作品が多いような…。なにをもってミステリーとしたのか、その根拠はよく分からないが、どれも大変読み応えのある作品ばかりだった。いや、読み応えなんてものではないかもしれない。なんというか、とてつもなく恐ろしいことが起きつつあるのに、防ぐことが出来ない無力感のようなものを感じてしまうのだ。特に印象に残ったのは『針箱』。ラストの一行に打ちのめされてしまう。あとは表題作の『あの薔薇を見てよ』。これもかなり怖いのだが、具体的にどう怖いのか言い表せないのが一番怖かった。他の作品も含みがありすぎて、一読では把握できないようなものが多い。つくづくボウエンは恐ろしい人だと思う。

ところで、これはある方の感想で気が付いたことだけど、確かに訳文が硬い。『猫がとぶとき』は福武文庫の訳文のほうが分かりやすいし、全体の雰囲気もいい。面白い作品が多かったので、違う翻訳者だったらどんな感じになっただろうかと考えてしまったが、めったに翻訳されな作家なのだから、読めるだけでもありがたいと思おう。(2004/9)

『犯罪発明者』甲賀三郎(春陽文庫)

甲賀三郎のシリーズキャラクターの中でたぶん一番知られている獅子内俊次ものの一作。獅子内ものといえば、バカミスで『乳のない女』が選ばれたことでもお分かりのように、そういう作品が多い。これも御多分にもれず、かなり脱力系だ。なお、甲賀三郎はそんなこと狙っているつもりは毛頭なく、むしろ大真面目なのだが、それだけに読み手の琴線に触れるものが多い。

友人を訪ねた帰り道に獅子内は人気のない夜道で怪しげな男から道を尋ねられる。次の日、獅子内は数年前に世を騒がせた殺人事件の犯人が脱獄したことを知る。もしかしたら昨夜の怪しい男がその脱獄囚ではにらんだ獅子内は、早速その方面に調査に行くが、事件は獅子内の友人をも巻き込んで意外な展開を見せ始める…。「最後の五分間で全てを解決する男」のキャッチフレーズにふさわしく、この作品も終盤で慌しい。でもって犯人も唐突だ。もう少し伏線があれば…と思わないでもないが、これは無条件に受け入れるしかない。それ以外にも偶然に頼りすぎるきらいはあるけれど、それも同じ。ということで、若き日の獅子内の活躍が楽しい作品だった。(2004/9)

『蛇の形』ミネット・ウォルターズ(創元推理文庫)

ミネット。ウォルターズの新作はいつも分厚い。しかも内容も重苦しいので、読む前にいつも身構えてしまう。とはいえ、こういうタイプのミステリは大好きだ。読み始めると、文字通り寝食を忘れて引き込まれてしまうから。

ある晩、死にかけた隣人を見つけた主人公は死の状況に不審を抱き、警察に訴えるが相手にされない。それから二十年後、主人公は再びその町に帰ってきた。隣人の死の真相を明かすために…。

一見すると無茶な設定だと思う。だって主人公は隣人の最後の瞬間に立ち合わせただけなのだから。だけど、なぜか主人公の行動に共感できるのだ。隣人は黒人でかつ難病を患っているために、近所から差別されていたのだが、主人公によって次第に差別する側の弱さと醜さが明らかになっていく。そして、浮かび上がってくるのは差別とはされる側でなく、する側に問題があるということだ。これをじっくりとあぶりだしてくるあたり、やはりウォルターズはすばらしいとしか言いようがない。思うに、この主人公は探偵役というより復讐の女神なのかもしれない。最後まで主人公の名前が明かされないあたりにそんなことを連想した。もっとも、これは少々うがちすぎかもしれないが。

惜しむらくはラストにいくつか詰めの甘さを感じたこと。とくに、ある人物の思わぬ行状が明らかになるのだが、少々とってつけたような感じがした。あと、配偶者をひたすらかばう女性の姿にも少々うんざりだった。現在がよければ、それでいいのだろうか。どうせなら、最後まで徹底したラストにしてほしかったが、そのおかげで妙に残る物語となったかもしれない。(2004/8)

『ぶたぶた日記』矢崎在美(光文社文庫)

ぶたぶたシリーズの5作目。いつの間にか出版社が変わってしまったのでびっくりした。人気がないとは思えないけど、商業的にはそうでもないのかな。

今回のぶたぶたさんは、カルチャーセンターのエッセイ教室に通っている。見た目は相変わらずカワイイぶたのぬいぐるみだけど、中身はいたって普通のサラリーマンだ。で、この見た目と中身のギャップに周囲の人々は混乱するが、ぶたぶたさんと関わりあううちに、いろいろなことに気付いていく…。

このシリーズは1作目からずっと好きなので、新作が今もって出続けているのはとても嬉しいことだ。でも、最近のこのシリーズはどうも最初の頃に抱いていたイメージを違ってきてるような気がする。私がぶたぶたさんを好きだったのは、ぶたぶたさんの正体が不明なところだったのかもしれない。あんまり家族の話とかされると、妙に生々しくて困ってしまうのだが…。あと後半になると、少々説教臭いのにも閉口した。確かに私もぶたぶたさんに癒されたいと思うけど、こういう流れにはちょっと抵抗を感じてしまうなあ。だって、なんだか気恥ずかしいんだもの。このシリーズは、これからも新作が出る度に読み続けるだろうが、たぶん以前ほど期待しないかもしれない。好きな気持ちは変わらないんだけどね。(2004/8)

『黒潮の偽証』高橋泰邦(東都書房)

ある貨物船を舞台にした本格ミステリ。複雑な人間関係が錯綜した船内でやがてひとつの事件が発生する。行方不明となった一航士は本当に自殺だったのか。それとも…。

密室ものと海洋冒険を見事に融合させた本格ミステリ。この作者の他の作品もいくつか読んでいるが、日本の海洋業界の事情を含めて、とにかく船に関しての描写が細かい。だから、船のことなど一切分からない素人の私でも作品を読み終えた頃には船について詳しくなったような気になってしまう。ここまで背景を描けるのは作者がいかに精通しているかということであって、その上でミステリとしてもキチンと発展させているのだから、これはすごいとしかいいようがない。この作品でも複雑な人間関係が展開されるのだけど、どうしてそうなったかは貨物船という状況だからなのだ。たぶん、この状況は今でもあまり変わらないのかもしれない。つくづく船乗りというのは大変だと思う。ところで、この作品は犯人あてということで、最後まで犯人の名前は明かされないので、どうも今ひとつすっきりしない。どこかで回答ははっきりと示されたのだろうか。私も一応推理してみたが、それが当たっているかどうか自信は持てないのだ。やはり……なのかな。(2004/8)

『迷路』モーリス・サンド(エディション・プヒプヒ)

スコットランドの北部にある古城の物語。そこを相続した城主はなぜか独身でなければならない。そして、招かれる女性客は若いと既婚者あるいは離婚経験に限られるが、一定以上の年齢なら全てOKなのである。しかも、宿泊する際にはまるで寄宿舎のような細かい規則を守ることを要求されるのだ。どうして、こうなったのか。その謎はやがて明かされることになるが…。

夏のコミケで販売されたプヒプヒさんの新刊。一応、心の準備はしていたものの、あまりにあまりに奇想天外な内容に読み終えた後、もう一度頭から読み返してしまった。ちなみに、そのとき気が付いたのだけど、まえがきですでに「いかなる荒唐無稽な推量といえど、事実の荒唐無稽さはそれを更に上回っていたのだ。」と告知されたいたのだった。うーん、だけどまさかそれが本当だとは夢にも思わなかった。そういう意味では、この物語の驚天動地ぶりは看板に偽りなしである。というよりも、そもそもよくぞこういう結末を考え出したものだなと思う。この作者のすばらしい思考能力には拍手喝采だ。もちろん、こんなすばらしい物語を掘り出してきたプヒプヒさんにも同じくらいの歓声を送りたい。ゴシックロマンスが好きで、一風変わった話が好きな人にはオススメしたい作品だ。ところで、私はこの作品の映画は見てみたいなと思う。ただし心身ともに体調を整えてからにしたいが。

そういえば、この作品の結末と一部よく似たオチを使ってる少女漫画があるのだが、ご存知の方はいるだろうか。ちなみに、それもかなり変わった作品だった。(2004/8)

『銀河弘法も筆の誤り』田中啓文(ハヤカワ文庫)

『蹴りたい田中』がとてもよかったので、遅まきながら早川文庫のもう一冊を手にしてみる。第33回星雲賞日本短編部門受賞作。ちなみに帯の推薦文が「それでも私たちは、この本を推薦できません」の言葉が何よりもおかしい。普通なら罵倒文句になるところが、この作者に限っては最大限の賛美となるのだから。なお、それぞれの短編の後に、解説代わりに批判文があるのも、いかにもこの作者の本らしい。批判文を書かれてる作家さんたちもいつものスタイルとはどこか違っている風に見えたは、もしかして田中啓文の魔力に引っかかったのだろうか。それとも、こんな考え方をする私自身が引っかかってしまったとでもいうべきか。どちらにしても、最後の文庫版のためのあとがきに至るまで、喜びに打ち震えながら読んでしまった。ああ、駄洒落ってすばらしい。(2004/8)

『追憶のかけら』貫井徳郎(実業之日本社)

妻を交通事故で亡くし、娘を妻の実家に預けたままの主人公は、あるきっかけから戦後まもなく自殺した作家の未発表の手記を手に入れる。これを元に、ぱっとしない大学講師からなんとか脱出すようと図るが、そこには思いがけない悪意の存在があった…。

正直言って、最近の貫井さんの作品は感想を述べるのに苦労する。だって、一番言いたいことは全てネタバレにつながってしまうんだもの。だから、面白いところは多いのだが、とてもじゃないが、そのままの感想は読んだ人にしか言えそうにない。そういう意味では大変読者泣かせな作品だ。なんとか差しさわりのない範囲内で感想を言うならば、全般的に仕掛けが上手い。とくに前半の部分は変だと思っていたが、まさかそうくるとは…。いやはや、見事にやられてしまった。とにかく、ミステリとしての満足度はとても高い作品だ。ただし、今回やや不満だったのは犯人役の性格設定だった。悪意のある存在とはいえ、こういう人物はどうしても好きになれない。宮部みゆき『誰か…』もやはりこんな風な人物が出てくるが、とても嫌な感じだった。どうして容認することができないのだ。だって、どう考えても間違っているのは向こうだと思うもの。でも、この作品を読むと、善良に真面目に物事を考えているほうがよくない風に見えるので悲しくなる。そのほうが違うと思うのだが…。単純明快といわれても、悪いことは悪いのだという意識は捨てたくない。だから、悪意を持つことも正当化したくはない。それとも、これは社会の病んだ一面を表すものと捉えればいいのだろうか。いろいろとモヤモヤした感じの残る話だった。(2004/8)

『砕かれた街』上下 ローレンス・ブロック(二見文庫)

9・11で家族を失った男は無意味な殺戮を開始する。画廊の女性オーナーは自身のセクシュアルな願望を満たすために行動し始める。前ニューヨーク市警警察本部長は政界への進出を狙うが、画廊の女性オーナーと知り合い、新しい世界に踏み出していく…。

ローレンス・ブロックといえばニューヨークであり、あの街への愛着はマット・スカダーものでもよく出てくる。そんなブロックが9・11以降のニューヨークを舞台にしたノン・シリーズのミステリとあらば期待するのは人情ではないか。が、そう思って読み始めたが、どこが9・11への追悼なのか結局分からないままだった。確かに、一人の男がテロ事件によって精神的に崩壊していく様はいい。たぶん、こういう心境だった人間はいたとしても不思議ないから。それだけに、この男が犯罪に走る姿にはリアルだった。しかし、その他の登場人物達がどうもこの物語にそぐわない。あまりにも即物的すぎるのだ。どうして性的に開放されることが崩壊からの復活につながるのだろうか。生きるという意味がそれを差すのは、少々安直ではないだろうか。もしかしたら、ブロックはまだあのテロ事件を完全には受け止めきれてないのかもしれない。そして、再生について手探りしている段階かもれない…と邪推したが、どんなものだろうか。おそらくテロ事件のことは今後の作品にも出てくるだろうと思うので、そちらのほうを期待している。(2004/8)

『カンタービル館の幽霊』後藤優訳(珊瑚書房)

ゴースト・ストーリーのアンソロジー。ゴースト・ストーリーなので怖い話ばかりかと思いきや、どちらかというとユーモアあふれる話が多いのにびっくりしてしまう。とくに表題作の『カンタービル館の幽霊』はスラップステッィックなノリにあふれたなんとも楽しいお話だった。どういう内容かというと、イギリスのある幽霊屋敷を買い取ったアメリカ人一家と幽霊の攻防戦なのだが、普通襲われるあるいは脅かされるのは生きている人間であるはずなのに、ここでは逆転しているのだ。すなわち幽霊が生きた人間達に振り回されるというもの。機知に富んだ会話とカリチュアされたアメリカ人像が楽しい。これ以外では、『ハロウビイ館の水幽霊』が面白かった。これも幽霊イジメな話であり、ここまでくると幽霊の方に同情してしまう。まさしく、浮かばれないとはこのことだろう。ゴースト・ストーリーというとおっかないというイメージしかなかったが、こんなにも楽しい話があったとは。私の思い込みを覆してくれた楽しいアンソロジーだった。(2004/8)

『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ(新潮社)

インド系アメリカ人女性による2000年度ピュリツァー賞受賞作。デビュー短編集でもあるとか。ピュリツァー賞がそういう権威なのかよく分からないが、新人でかつインド系の女性が受賞というのに心惹かれて読んでみた。手にする前は、移民のつらさを語るような作品なのだろうと思っていたが、全くそういうことはなく、むしろしみじみとした味わいに満ちた作品集だった。もっとも、時々ちらりと毒を感じさせられたが。一番印象に残ったのは『三度目で最後の大陸』。インドから移民としてやってきた男性と大家の老婦人の交流を描いたもの。主人公はおそらく自分の父親をモデルにしただろうが、心温まるラストがいい。『ピルザダさんが食事に来たころ』はバングラディッシュからのアメリカへ留学したものの、紛争のために帰国できなくなった男性を少女の視点から描いた作品。政治的に翻弄される男性の哀れさと、少女の成長していく過程の絡め方がすばらしい。それ以外の作品も淡々とした流れなのだが、妙に心に残るものが多かった。(2004/8)

『ラスト・ホープ』浅暮三又(創元推理文庫)

釣具店を経営する二人のところにある日謎めいたFAXが届く。病気の父のために山女魚を手に入れてほしいというのだ。なんとか釣り上げるが、その直後何者かに襲われてしまう。そして、襲撃犯を探す二人の前に再び同じような依頼のFAXが…。

朝暮さんとはMYSCONで何度かお会いしたが、素面じゃない状態だったことが多いせいか、なんとなく作品もそういうイメージで考えていたのだけど、全然違うので驚いてしまう。いや、よく考えれば当たり前のことなんだけど…。ストーリーは軽快なクライム・コメディ。登場人物達のやり取りがなんともはや楽しい。やはりコメディは会話が楽しいと更に面白くなるなあ。あと釣に絡んだものなので、釣の専門用語がよく出てくるが、初心者にも分かりやすく、かつ薀蓄が鼻につかないのもいい。肝心の仕掛けはもう少しスマートに処理してくれたら尚よかったのにと思うが、でもラストがなかなか粋だったので、これぐらいでいいのかもしれない。クライム・コメディながら、とても心温まる話だった。(2004/8)

『祟り』トニー・ヒラーマン(角川文庫)

ナヴァホ族の警察官を主人公とするシリーズで知られているトニー・ヒラーマンの処女作。一応、角川文庫翻訳ミステリのキキメの一冊でもある。

人類学の教授が友人と共にインディアン居留地へ調査にやってくる。教授の友人である保安官は居留地でナヴァホ族の若い男を捜しているが、その男は死体となって発見される。状況からすると殺人らしい。一方、教授は学術調査のためにいろいろと聞きまわるうちに、<狼>があちこちで悪さをしてることを知る。果たして<狼>とはどんな存在なのか…。

ネイティブ・アメリカンの社会的状況とミステリとの絡め具合がすばらしい。居留地だからこそ起こりうる事件であり、またナヴァホ族であることがとても重要なキーワードとなっている。物語全体に暗い影を落とす<狼>が大変印象的で、後に正体が明かされても、その不気味さは薄れない。ナヴァホ族の風俗、習慣についての記述も興味深い。とくに<狼>を成敗するための<調伏の儀式>は不吉なものを追い払うためでありながら、近隣住民の娯楽と交流の場にもなっているのだ。日本だとこういう儀式はできるだけ秘密裡に行うのではなかろうか。そう思うと、民族性の違いを感じて面白い。ちなみに、この場面では人々が昔ながらの儀式を楽しみながら、同時にその古い習慣が失われつつあることも描いていて、時代の移り変わりに胸を締め付けられた。前半の謎めいた雰囲気が後半では冒険小説的な展開へと変わる点が少々残念だったけど、とても処女作とは思えないほど完成度の高い作品だった。(2004/7)

『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』ボルヘス ビオイ=カサーレス(岩波書店)

ボルヘスとビオイ・カサーレスの二人によって三十年にも渡って書き継がれたミステリ連作短編集。

無実の罪で投獄された元理髪店主イシドロ・パロディはその名探偵ぶり故に依頼人が跡を絶たない。今日もパロディの独房に悩める人間がやってくるが…。

三十年という月日のせいか、最初の話と最後とではかなり雰囲気が異なる。最初の「世界を支える十二宮」は安楽椅子探偵ものの王道のような作品なのだが、次の「ゴリアドキンの夜」あたりから、次第にミステリ的な要素より社会を風刺するような描写が増えてくる。また、このときから、強烈な個性の登場人物が一人レギュラー入りするので、パロディは解決を示すだけの存在になってしまっているように思えた。名探偵としてもっと活躍してほしかったので、これは残念だった。でもモンテネグロが登場する度に肩書きとついでに態度が変わっていくところがとても楽しい。ただのワトソン役に収まらない大変魅力的な存在だ。(2004/7)

『四日間の不思議』A・A・ミルン(原書房)

『くまのプーさん』の作者によるロマンチック・ミステリ。半年前に引き払った家が懐かしくて、ふと立ち寄ったジェインは永らく音信不通だった叔母の死体を発見する。つい、うっかりと叔母が頭をぶつけたとおぼしきドアストップを拾い上げ、自分のハンカチで付いていた血を拭い、さらにそのハンカチ(自分のイニシアル入り)を落としてしまう。しかも、ここに来てようやく事態のまずさに気が付き、慌てて窓から逃げ出そうとするが、その際不審な足跡まで残してしまう。かくして、追われる身となったジェニーは友人に助けを求めて見知らぬ町に逃げ込むが…。

徹底したドタバタぶりがとにかく楽しい。史上かってないほど迂闊な行動をしたヒロインもヒロインだが、警察側も負けじとトンチンカンな捜査をしてくれるし、事件巻き込まれた人々もそれぞれ思い違いな行動をして、更に事態を混乱させてしまう…というコメディの王道のような展開を繰り広げてくれるのだ。まるで三谷幸喜のドラマのよう。騒動の果てに全て物事が収まるところに収まるというラストもいい。この暖かい余韻は昔のコメディ映画好きにはこたえられない。最後の一頁まで嬉しくてしょうがなかった。やはりコメディは好きだ。もちろん最近の作品でもハッピーエンドのものはあるけれど、ここまで上質な笑いに包まれた作品はあまり見かけないような気がする。もうこういうセンスは昔のものとなってしまったのだろうか。寂しい。もっとも、こういうストーリーは古きよき時代だからこそ成り立つのかもしれないが。(2004/7)

『闇のなかのオレンジ』天沢退二郎(筑摩書房)

<オレンジ党>シリーズの短編集。『オレンジ党と黒い釜』のメンバーも登場する話もある。全部で12編収録されているが、続いている話とそれっきりの話が混じっているので、私には全体の流れが少々つかみにくかった。とはいえ、やはりこの世界観はやはりすばらしい。日常生活がふとしたきっかけから非日常へ転じていくさまは、まるで子供の頃に見た悪夢のよう。目が覚めてからもどこまでが現実でどこからが夢なのか分からないそんな状態に突き落とされてしまうのだ。夢が絡む話で印象的だったのは「三人のお母さん」。最後の一行がとても恐ろしい。漱石の『夢十夜』を思い起こした。あと表題作の「闇のオレンジ」は天沢作品にしては珍しくラストがはっきりしていたが、これはこのシリーズの原点なのだろうか。この物語がどのように終わるのか気になるところだが、あいにくこの後の二冊は持っていない。残念だ。一日も早く復刊されることを願う。(2004/7)

『観光旅行』デイヴィット・イーリィ(ハヤカワ文庫)

ハヤカワノヴェルズで出たっきり永らく絶版であった本書が突然、文庫で復刊されたのには驚いた。よもや今頃読めるになるとは…。つくづく最近の出版状況はあなどれない。

裕福なアメリカ人の団体が南米のある国へ観光旅行にやってきたことから、この物語は始まる。観光開始直後から悪夢のような事件が発生するが、それは混乱の幕開けにしか過ぎなかった…。

とにかく展開が目まぐるしい。観光中の悪夢のような事件からして異様な雰囲気に包まれるが、最後までこの異様さは薄れない。いや、むしろどんどん混迷化していくのだ。これで少しでもユーモアがあれば、かなり面白いスラップスティック劇になったと思うけど、残念なことにイーリィはそういう作風ではないようだ。これがウエストレイクだったら…。しかし、この真面目さがむしろ曲者かもしれない。真面目であるからこそ現実のグロテスクさを否が応でも見つめなければならないから。登場人物の造形も見事だ。観光客を恐怖に突き落とし、この国の陸軍に加担して怪しげな計画を企てる旅行会社社長、暇を持て余している社長夫人(ただし、この女性像はいかにも1960年代風。今の女性ならもっとストレートな行動に出るのでは?)、主人公を事件に巻き込み、社長夫人と恋愛遊戯に耽るアメリカ大使館員、そして終盤で登場する技術者たち。私としては、この技術者たちの職務熱心な態度が一番印象的だった。きっと、こういうアメリカ人は今でもいるに違いない。そして、技術の進歩の名の下に様々なことを仕出かしてるのだろう。それはともかく、こういう人々と関わってしまったために、平均的なアメリカ人だった主人公は変質していく。この変貌振りも凄まじい。ラストに至っては唖然としてしまった。この後はどうなるのだろうかと気にはなったが、それは知らないでいたほうがいいのかもしれない。知らないという幸せを噛みしめた。(2004/7)

『明治波濤歌』上下 山田風太郎(ちくま文庫)

関川夏央と谷口ジローの『坊ちゃんの時代』は大好きなマンガだ。あれのおかげで明治という時代への見方は大いに変わった。明治をああいう観点でとらえるとはなんて斬新なんだろう。…と思っていたが、原点が山田風太郎にあるとは長いこと知らなかった。大変迂闊なことである。

山田風太郎の明治ものの一作、短編集でもある。主人公は榎本武揚、北村透谷、南方熊楠、樋口一葉、黒岩涙香、小金井良精、川上音二郎、貞奴、野口英世等等、他にも何人もいる。いずれも著名人。子供向けの偉人伝でもお馴染みの面子だ。こういう人々をよく知られている史実に虚構を織り交ぜて語っていく。この史実と虚構の混ぜ方がすばらしい。最初は違いを意識していたが、途中からどうでもよくなってしまった。それよりも、ひたすら明治という時代の熱さに酔いしいれていた。この中で一番好きだったのは「横浜オッペケペ」。最後に意外な人物の正体が明かされるのだが、あまりに的確な描写の数々にしばらくもんどり返ってしまう。とてもフィクションには思えない。なにかの評伝にこんなエピソードがあったのではと思ってしまったほど。

それしても山田風太郎は不思議な作家だ。読んでいる側は物語が進むに連れて、どんどん熱くなっていくのに、語ってる側は最初から最後までどこか冷ややかな感じがする。冷ややかというのは適切な表現じゃないかもしれないが、何度かラストで突放されたことがあるせいか、その印象を拭いきれない。とはいえ、ああいう風にひっくり返されるのは大好きなのだが。(2004/7)

『オレンジ党と黒い釜』天沢退二郎(筑摩書房)

詩人、天沢退二郎の<オレンジ党シリーズ>の第一作目。母のいない少女ルミは昔父と母が住んでいた古い家に引っ越してくる。引っ越してきた早々、ルミの家の庭から聞こえてくる怪しげな声、そして突然の父の失踪。はたして、ここでなにが起きているのか…。

天沢退二郎は宮沢賢治論を書いていることもあって、どうしてもその作品に宮沢賢治の影を見てしまう。どこか土の匂いがするし、内容もとても象徴的だ。この世界では<時の魔法><黒い魔法><古い魔法>という三つの魔法が出てくる。<時の魔法>はルミ達<オレンジ党>が属していて、<黒い魔法>と対立している。<古い魔法>は魔力は一番強いが、悪でも善でもない。何を考えているのかも分からないのという複雑な存在だ。この複雑さがいい。おかげで読者としては<古い魔法>とは何を意味してるのかを考えさせられてしまう。シリーズ物なので、これ一作だけではすっきりしない部分もあるけれど、子供向けとは思えないほど含みのある内容だった。(2004/7)

『剣と薔薇の夏』戸松淳徳(東京創元社)

この作品の予告が出たのはかれこれ十年ぐらい前だろうか。予告が出たままそれっきりだったので、正直この作品を読める日が来ないと思っていた。そういう意味では大変感無量な作品である。

舞台は19世紀半ばの遺米使節団歓迎に沸き立つニューヨークを舞台にしたもの。その騒ぎの中で全く関係ないと思われた二つの殺人事件が結びついていく…。

とにかく閉口したのは文章のくどさだ。とくに風俗、地理に関しての緻密な描写はよくぞここまで調べ上げたなと驚嘆すると同時に研究書のような緻密さに何度もギブアップしそうになった。調べた以上、書き記したい気持ちは分かるが、果たしてここまでの描写は物語に必要だったのだろうか。せめて、もう少し文章にゆとりがあれば、こちらも情景を思い浮かべて楽しめたかもしれないが、残念なことにそういう要素はなかった。とはいえ、これは風俗、地理だけではなく登場人物に対しても同じだ。ほんの少しの出番しかない脇役に対しても、かなり描き込まれているのだが、それもやりすぎの感が否めない。物語の効果にはあまりなっていないように思えたから。

この作品は大変な力作であることは間違いない。こういう文章が好きな人には傑作に思えるだろう。だけど、私はもう少し読み物としての工夫が欲しかった。いろいろな意味で残念な作品だ。(2004/7)

『蒼ざめた馬』ロープシン(同時代ライブラリー)

20世紀初頭のロシアの革命家たちの姿を描いた小説。発表当時、ヨーロッパでは爆発的な人気をよび、戦後しばらく経った日本でも翻訳されるや一世を風靡したほど読まれたらしい。確かにこの主人公の心境は現在の若者にも通じるものがあるかもしれない。

なお作者のロープシンは本名をサヴィンコフといい、実際に革命活動グループを指揮してモスクワ総督とセルゲイ大公の暗殺に成功したテロリストでもある。後に白軍の武装蜂起を指導したために逮捕され、判決後に謎の死を遂げたとか。

物語はモスクワ総督暗殺のために主人公率いるグループがモスクワに潜入したところから始まる。彼らは本当は人殺しなど望んでない。しかし、やらなければならないと悲痛な思いで覚悟を決めている。計画が進む渦中で主人公は人妻に恋をし、その夫と決闘する羽目になる。結局、主人公の選んだ道は…。

タイトルからも分かるように極めて宗教的な色合いが強い。主人公はテロをやらねばならぬと決めている。それしか選択がないと思っているからだ。しかし、その反面、人殺しに強い抵抗を覚えている。やがて主人公は神を信じてないにも関わらず、神の存在を深く意識するようになる。この迷う姿に深く共感した。主人公たちが実行しようとすることには決して賛同できないが、彼らが理想を求めて止まない気持ちが痛いほど伝わってきたから。それだけに、彼らがテロの過ちを知りながら実行に移す過程はやりきれない。テロリズムで物事を変えられるとは、とても思えないから。たとえ一時変えられたとしても、必ずしもそれがいい結果に結びつくとは限らないではないか。現在のテロリスト達もこのような心情なのだろうか。気になるところだ。(2004/7)

『ヴァスラフ」高野史緒(中央公論社)

ニジンスキーの生涯を自由奔放なイメージで再構築した前衛的な物語。帝政ロシアの時代にコンピューターネットワークがあるという発想がとてつもなくユニークだ。しかも違和感なく融合させているのは見事としかいいようがない。ロシアに関しての知識の深さを感じた。ただし物語が進むにつれて、作者の趣味が表立ってくるようになると読むのがきつくなってくる。たとえば、ピンク・フロイドの詩の挿入にはあまりの唐突過ぎて面食らった。確かにピンク・フロイドの詩はいい。この作品の雰囲気に合ってるとは思うけど、ニジンスキーとどこでつながるのだろうか。どうせこの二つを結びつけるなら、それらしい理由をこじつけてくれればいいのに…。それと最後の「ニジンスキーとユング」の章の存在がよく分からない。あの前まで終わらせてくれたほうが余韻が残ってよかったと思うのだが。いきなり楽屋裏を見せられたようで興ざめだった。それに、その中で「ニジンスキー」を描いた映画やバレエ、朗読劇等のほとんどが二流の域に留まっているという意見には承服しがたい。というか、そういうことを物語の最後にもってくるのはやりすぎではなかろうか。作家であるなら、そういうことは意見としてではなく、作品で証明してほしいと思う。(2004/7)