読書感想ノート(2004/4-6)

『茨の城』上下サラ・ウォーターズ(創元推理文庫)

『半身』と同じくヴィクトリア朝を舞台にした歴史ミステリ。スリの娘が詐欺師に田舎のお城に住む大金持ちの令嬢を騙す計画を持ちかけられ、侍女として詐欺の片棒を担ぐことになるが…。既に読まれた方からディケンズばりと聞いていたが、まさしくディケンズを彷彿をさせて、大変読み応えのある内容だった。とにかく描写が細かい。ロンドンの貧民街、田舎の城、病院、監獄の描写もかなり正確なので(という風に見えたが)読んでいて情景が目に浮かぶよう。ストーリーも当時の新聞小説のように目まぐるしい展開で上下巻であるにも関わらず後半からは一気に読めてしまう。ラストシーンも映画のように美しい。巷で評判高いが、分かるなあと思った。でも人に薦めたいほど面白いかというと、そうでもない。展開に不服な点もあったし、嫌悪感を感じずにいられない部分もあった。これは『半身』のときから気になっているのだが、サラ・ウォーターズのセクシュアリティはどういうものなのだろうか。もし次作もこういう要素が含まれるなら、読むのはためらわれてしまう。偏見があるわけじゃないが、この人の描写はどうも苦手なのだ。ハイスミスにはそういうものを感じないのにね。これはもう好みの問題としかいいようがない。(2004/6)

『オキテ破りの恋愛営業』樹生かなめ(ピアス・ノベルズ)

こういう小説は読むのはそれなりに楽しいが、いざ感想をまとめるとなると結構難しい。なによりも恥じらい(一応、私にもあるんです)が先に立つ。なんでこういうのを手にしたかというと、先日読んだ『えっちな校正』田中栞(胡蝶豆本)で取り上げられていたから。それによると、この作者は綿密な業界取材をしているとか。この作品も名の通った総合病院の院長の長男で外科部長である主人公が製薬会社の営業マン(MR)とふとしたことからデキてしまう…というラブ・コメディ。病院の内部事情がいかにもありえそうなのがすごい。それと主人公が医師として良心的なのが好感が持てる。とはいえ、やはりボーイズラブ小説。肝心の恋愛描写にどうしても馴染めない。いや、これなら男女でもいいんじゃなかろうか。どうして男同士じゃなきゃいけないのかと思ってしまうからだ。まあ、こんなことを思うようじゃボーイズラブにハマれないかもね。軽く読めるので気分転換にはうってつけだった。(2004/6)

『紅楼の悪夢』ロバート・ファン・ヒューリック(H.P.B)

名立たる歓楽地へ赴いたディー判事が遊郭の一室で起きた密室殺人事件に遭遇するが…。ディー判事シリーズのポケミスもこれで三冊目。時系列的には『観月の宴』の前だとか。どうせなら順番に出してほしかったとも思うが、それは今だから言えることであるので読めるありがたみを大切にしよう。相変わらず人間関係の描き方が上手い。登場人物の数はさほど多くないせいもあるのだろうが、それぞれ細かいところまで描き込んでいるので読んでいてイメージしやすい。だからストーリの展開がなんとなく予想できても結末が気になってしょうがない。また本も薄めなので一気読みするのに丁度いいというのが嬉しい。とはいえ、今回の作品は『真珠の首飾り』や『観月の宴』に比べると、少々展開に無理があるように思えた。正直言って唐突すぎるというのが私の印象。もう少し前後の説明が欲しかったと思う。もっともやはり掛け値なしに楽しめる作品であったので、今後の翻訳も大変期待している。ぜひもっと出てほしい。(2004/6)

『殺しの接吻』ウィリアム・ゴールドマン(H.P.B)

脚本家としても名高いゴールドマンが映画界に入るきっかけともなった作品だとか。ゴールドマンの小説というと私は「プリンセス・ブライド・ストーリー」を真っ先に思い浮かべるが、その他にも「マラソン・マン」や「マジック」といったミステリ作品がいくつかあるようだ。あいにく両方とも未読だが、「マラソン・マン」は映画で観たのであの拷問の強烈さは今でも忘れられない。おかげで歯医者恐怖症になったもんなあ。

それはともかく、この作品もいかにもゴールドマンらしい独特な雰囲気のスリラーだった。冒頭の神父の登場からしてショッキング。やがて犯人像が少しずつ浮かび上がってくるのだけど、合間に捜査を担当する刑事の独白が挿入されるので、なにがどうなっているのか流れが読みにくい。しかも終盤にもうひとひねりあるという複雑な構成だし。犯行動機についてもう少し説明が欲しかったけど、ここまで展開してくれるなら文句は言うまい。短いながらもピリッとした味わいの作品だった。(2004/6)

『フェデッセンの宇宙』エドモンド・ハミルトン(河出書房新社)

奇想コレクションの四冊目。昔同タイトルで早川書房から出ていたハミルトンの短編集。なんでも早川版とは収録作品が異なるとか。ということはあちらを探す人達は減らないということか。そんなことはさておいてハミルトンといえば私はまず「キャプテン・フューチャー』を思い起こす。アニメ版が大好きでその影響で文庫を読みふけったものっだった。思えば「キャプテン・フューチャー」も奇想味たっぷりな物語だったような…(なにせ読んでいたのはずいぶん昔のことなのでうろ覚えなのだ)。そのハミルトンの短編集とくればこれはもうセンス・オブ・ワンダーな作品ばかりに違いない。そう思って読み始めたら本当にそんな物語ばかりだった。嬉しい。表題作の「フェデッセンの宇宙」は今となってはありふれた設定だけど、やはりこういう話はいいなあ。SFが好きだった時代を思い起こすから。あとは「翼を持つ男」もいい。ラストの数行に深く感動した。

ところでこの奇想コレクションは四冊で終わりかと思ったらまだ続くらしい。次はベスターなのでこれまた楽しみだ。(2004/6)

『スペンサーの料理』東理夫、馬場啓一(早川書房)

風邪を引いてから食欲が落ち気味だ。お腹は一応空くが、食べたいものが思いつかない。おかげで食生活は貧しくなる一方。勢い精神面にも悪影響が出ている。ということで食欲増進のために手にした一冊。スペンサーは初期の頃、好きだった。洒落た会話に美味しい食事、大人の世界への憧れをかき立てられたものだ。しかし、この本を読んで思わず唸ってしまったのはスペンサーがグルメではないということ。言われてみれば、お酒はもっぱらビール党。ワインウイスキーの記述は少ないし、料理もパスタやスープにサンドウィッチが多かったような気がする。美食といえばネロ・ウルフやポアロだが、この二人に比べると味覚はかなり庶民的だ。巻末の対談で東理夫氏と馬場啓一氏がスペンサーはおふくろの味が好きだと指摘してるけど本当にそうだ。大体スペンンサーは自分で作るのほうが好きだしね。なんだか妙にスペンサーに親近感を覚えてしまった。食欲が減退したら、またシリーズを読み始めてみようかな。(2004/6)

『死の仕立て屋』ブリジット・オベール(早川文庫)

久々にオベールを読んでみると相変わらずだった。別につまらないわけではないのだが、初期のインパクトは薄れてしまった。ワンパターンではなく、むしろ毎回かなりひねった設定にも関わらずそうなのだ。なぜだろう。ただとにかく思ったのはオベールは視覚的な表現がおおい。とくに気持ち悪いものの描写の上手さときたらもう…。前に「ジャクソンヴィルの闇」を読んだときにゾンビ小説でありながら一番怖かったのはごきぶりだった。あの気色悪さは今でも思い出すとゾッとする。でもってこの作品も死体の惨い有様よりも犯人が死体に噛み付くというほうが強烈だった。どうしてこの人はこんなに生理的嫌悪感をかき立てるのが上手いのだろうか。おかげで未だに「闇が噛む」を読めないでいる。この作品も続編が出るらしいが、主人公の魅力が乏しいので読むかどうかは微妙だ。(2004/6)

『神のふたつの貌』貫井徳郎(文春文庫)

大まかなストーリーは知っていたけど予想以上にヘヴィな内容だ。それはミステリというより宗教小説ではないかと思うほど神の存在を問うているからである。私は宗教心など微塵もないし、神の存在について深く考えたことのない人間だけど、ここまで追及されると考えずにはいられない。そして気が付くと主人公である早乙女の考えに同調している自分がいる。だけど、この作品の上手さは実はそういうところにあったりするんだよね。あらすじで巧妙な仕掛けとあった段階で実は用心しながら読んでいたのだが、途中からそんなことを忘れてしまうほどストーリーに引き込まれてしまった。それはやはり早乙女の迷いに深く共感するものがあり、それゆえに彼の運命が気になったからだ。ちなみに仕掛けは見事に引っかかったけど、それはとても心地よい衝撃だった。ただラストに若干割り切れないものを感じているが、一読だけではなんともいえないのでもう少し時間を置いてからまた読み直してみたい。(2004/6)

『蜘蛛の微笑』ティエリー・ションケ(早川文庫)

整形外科医とその妻、野卑な銀行強盗、そしてある日突然監禁された人間がつづる手記、この三つが交互に語られていくというミステリ。しかし、フランスミステリはまだこういうのが多いのだろうか。アイデアとしては悪くない。意外性もある。だけど、この読後感のいいようもないやるせなさはなんだろうか。いかようにも料理できる素材なのに大変あっさりと済ませてしまったような・・・。やはりこの国のミステリとはこういうのが主なのだろうか。これがイギリスならおそらく倍のページを要するだろうし、もっといえばP・J・Jかイアン・ランキンなら二冊ものになったことだろう。でもこういう内容を延々と続けられたら、それはそれでかなり気が滅入りそうだ。ということで、シンプルさが好きな私としては集中力に見合った薄さが嬉しい。ちなみに肝心の内容はいわゆる火サスであった。(2004/6)

『蹴りたい田中』田中啓文(早川文庫)

いやもうよくこの時期にこんなタイトルで本を出してくれたものだ。元ネタとなった本を読むことはおそらくないけれど、こちらは店頭で見つけた瞬間にレジに直行し、そのまま読みふけってしまった。内容は徹頭徹尾、田中啓文の世界。最初のインタビューから最後の文学対象のお知らせに至るまで遊び心(というかオヤジギャク)に満ちている。作品はどれが面白かったかはこれまた判定しにくいが(なにせ脱力系が多いので)やっぱり表題作の「蹴りたい田中」かな。設定といいオチといい読み終えた後しばらく放心してしまった。あと「トリフィドの日」と「トリフィド時代」のインパクトもある意味すばらしい。鬱々とした気分のときに読むことをオススメしたい一冊である。ちなみに私はこれでかなり救われました(笑)(2004/6)

『山田風太郎傑作選7 男性周期律』山田風太郎(光文社文庫)

セックス&ナンセンス篇とあるように、そういう傾向の作品が収録されている。でもセックス&ナンセンスという言い方は言いえて妙だ。こうしてそういうテーマを固めて読んでみると、扇情的なものよりユーモアをより強く感じるからだ。かなりストレートな描写もあるのに気が付くと笑いに転じられている。さすが山田風太郎もうマジックとしかいいようがない。そのおかげで読んでいてひたすら面白かった。作品的に甲乙は付けがたいのだが(なにせどれも面白かったので)強いていうなら「美女貸し屋」が印象に残った。いいなあ、このブラックな結末。あとは「自動射精機」この機会を巡る騒動がある意味微笑ましい。機械になじみができて操を守るなんてあたりは大爆笑だ。まあ、あまり女性が笑うべき作品ではないけれど。(2004/6)

『クリムゾン・リバー』ジャン=クリストフ・グランジェ(創元推理文庫)

異常な状況で発見された惨殺死体の謎を巡って暴力傾向が強すぎて有能なのに問題児となってしまった警視正とアラブ系でストリートチルドレンだった過去を持つ野心家の警部が共同で捜査することになるが…。

とにかくこの死体の状態が凄まじい。生きたまま拷問されているという設定なのでこれはサイコ・スリラーかと思いきや、そうでもない。どうやら過去の事件が由来しているらしいというけど本格味もない。かなり謎は詰め込んであるものの最終的にはアクション・スリラーだったというあたり今のフランス人の好みがうかがい知れる。あいにく映画のほうは見てないが、ラストは違うらしい。まあ続編が製作された段階で察しはついたが。かなり面白い題材だったので、こういう展開で終わらせてしまうのはもったいないような気もするが、これぐらいのほうがエンターティメントとしてはいいのかもしれない。迷うところだ。(2004/6)

『青いノート』乾信一郎(鱒書房)

昭和29年からHNKで放送されたラジオドラマのノベライズ。やもめのお父さんに昔かたぎのおばあさん、しっかり者の長女とやんちゃな次女が繰り広げるホームドラマ。あとがきの乾信一郎氏のこの番組にかける意気込みがなんともはやすごい。飯よりも好きな煙草を止め、そのため半病人になったとか(しかもこのせいで半月も医者通いをしたらしい)、不義理はかえりみず、他の仕事は一切断って専念したとか(どおりでこの時期に乾信一郎のユーモア小説を見かけないわけだ)その甲斐あって毎月15本のペースを守って無事500回近くまで続いたそうだ。ラジオが庶民の娯楽だった時代だけにいかに好まれたかがこれからも伝わってくる。

で、実際にノベライズのほうも500本から厳選した16本だけあってとても面白い。まず登場人物の性格設定がとてもいい。主人公の家族はもちろん近所の人達、会社の同僚、隣家の息子の友達に至るまでイヤな人間が誰一人としていないのだ。だから読んでいてほのぼのとするし、こんな町に住んでみたいとまで思ってしまう。NHKの朝の番組だからいろいろと制約もあったのではと思うのだが、そんなことなど微塵にも感じさせない語り口はさすがだ。それにしても今読むとノスタルジックな思いでしめつけられてしまう。もうこんな情景は望めないだろうなあ。(2004/5)

『陽だまりの迷宮』青井夏海(ハルキ文庫)

11人兄弟の末っ子と謎めいた下宿人が不思議な出来事を解き明かすという日常の謎を扱った連作短編集。青井夏海さんといえば『スタジアム 虹の事件簿』がとても好きだったが、その中で一番好きなのは男の子が出てくる話だった。どこにでいそうなんだけど、ありふれてない。子供の頃、よく見ていたTVドラマの主人公みたいな感じなのだ。この本の主人公もそんな男の子。真面目で心優しくて素直。なんでも自分なりに一生懸命考えて行動しようとする。そんな男の子が思わぬ事件に巻き込まれるのだから読んでる側としては思わずハラハラしてしまう。でもちゃんとヒントをくれる人がいてそれがヨモギさんという下宿人。最後までどんでん返しがあるのも嬉しい。あっさりとした風に見せかけて実はとても趣向の凝らされた作品だった。(200/5)

『腐肉』フィリップ・カー(新潮文庫)

ソ連崩壊後のサンクトペテルブルクを舞台にした警察小説。舞台もロシアなら、登場人物達も全てロシア人、しかし作者はイギリス人である。ある意味ユニークな小説だ。もっともフィリップ・カーは外国を舞台にするのが好きなのか、この前のシリーズはナチス政権下のベルリンなのだが。

ストーリーはモスクワからやってきた捜査官がペテルスブルクの警察官達と様々な事件を捜査するうちにある企みに気が付いていくというもの。ロシアという国ならでは犯罪が相次いで描かれる。民族差別に貧富の差、役人のアルバイトに賄賂、これら全てのことが犯罪に結びつくのだ。よくまあ一般庶民が暮らしていけるものだ。というより、国が機能しているほうが不思議に思えるときがある。実際この作品でもロシアで一番力を持っているのはマフィアだ。マフィアなしに生活できないほど細かいところまで仕切られている。確か作中でもマフィアはソ連時代の役人と似たようなものとあったような気がするけど、まさしくその通りで必要悪としかいいようがない。犯罪捜査に当たる主人公達もそのジレンマは感じているようで、事件は解決しても最後まですっきりとしない感じが残ってしまう。なかなか後味のよくない作品だった。それにしてもロシアはいつか行ってみたい国なのだが、こういうのを読むと行くのが怖くなるなあ。もし行くときは覚悟を決めようと思った。(2004/5)

『運命の八音符』連城三紀彦(文春文庫)

連城三紀彦のユーモア・ミステリの短編集。どんぐりまなこに分厚い眼鏡、定職にもつかずにぶらぶらしている田沢軍平クンはなぜかモデル・女医・人妻にホステス、不良少女にまでモテモテで…。

貸本小説によくあるような設定なのだが、惜しむらくは貸本小説のような歯切れのよさがないこと。これが城戸禮ならば、主人公はもっと快男児になりアクションが増えたのだろうな。いや、これは単に私の好みならそうしてほしかったというだけなのだが。ただユーモアを期待していたので、そうじゃない話のほうが多いのにはかなり戸惑った。これならユーモアなどといわないほうがよかったのでは。あと女性の描き方に古さを感じてしまう。まるで二時間ドラマのようにありきたりなのだ。初期の作品の女性達がすばらしかったことを思うと残念でしょうがない。とはいえ女性の悲哀の描き方は相変わらず巧みだったのが嬉しい。(2004/5)

『恋愛パトロール』宇井無愁(東方社)

戦後間もない頃の大阪を舞台にしたユーモア小説。串勝男という名のためにクシカツさんと呼ばれてしまう独身で気のいいおまわりさんが主人公。後輩の夏原警らは同僚の上月婦警と惹かれあうようになるが、なかなか上手く進展できずに苦労している。クシカツさんはこの二人を影ながら応援するが、そう簡単にコトは運ばない(スムーズにまとまったら物語が成立しないから当然なのだが)。この微笑ましい恋愛騒動を背景にして当時の庶民の生活が生き生きと描かれていく。その描かれ方がとても爽やかでいい。中にはやるせないエピソードもあるけれど、作者の視点が暖かいので嫌な思いが残らないのだ。あと登場人物達のやり取りも楽しい。なぜか若い女の子は大体みんなちゃっかりしているのだが。まあ、女性の強さはこの時代から芽生えていたということなんだろうと思わず苦笑した。

びっくりしたのは短編が二つ収録されていたこと。目次には載っていなかったのだ。そういう時代の本なんだけどね。これもまた隔世の感だ。なお二つの短編はどちらもユーモア物でこれまた微笑ましい話だった。(2004/5)

『死を呼ぶペルシュロン』ジョン・フランクリン・バーディン(晶文社)

精神面の暗黒部を追求した心理ミステリとしてジュリアン・シモンズに再発見された不遇な作家バーディンの一作目。異様な雰囲気が特徴とされるだけ既に一作目から奇抜で悪夢のような雰囲気に包まれている。ストーリーはというと、ある精神科医のところへ髪に花を挿した青年が診察を受けにやってくる。青年は自分は正気だと主張するが、それを証明するために医師にある場所まで一緒に来て欲しいという。診察と好奇心から医師は同行するが、そこで思わぬ事件が…。

途中からの展開が目まぐるしい。主人公にとっては悪夢としか思えないような出来事が連発するのだ。このときの雰囲気がいい。まさしく悪夢の中といった感じだ。もっとも謎をずいぶん引っ張った割には真相はあっけないものが残念。少々拍子抜けした。ラストまでこの異様さを引きずってくれたなら、もっと面白くなったかもしれないのに。バーディンは自分の作品をミステリと決め付けられるのを嫌ったそうだが、確かにミステリ臭はあまり感じられない。(2004/5)

『猫舌男爵』皆川博子(講談社)

2002年から2004年の間に発表された作品を集めた短編集。以前のような幻想味あふれるものから『総統の子ら』を彷彿させるものまでいろんな趣向の作品が収録されている。あらためて、この作者の幅の広さを知った。

一番好きなのは表題作にもなった『猫舌男爵』だ。幻の私家版『猫舌男爵』を巡る一騒動とユーモアたっぷりに描いたもの。なんといってもヤマダ・フタロが楽しい。東欧の日本文学者が分からない単語を勝手に解釈していくのだが、そのメチャクチャぶりに何度爆笑したことだか。あと実在の日本人評論家が二人登場するが、個人的にも知っている方なので、二人のやり取りが目に浮かぶようで楽しい。とくに片方の方は完全にキャラが出来上がっていて、いかにも言いそうな台詞の連発してくれるので、一瞬もしかしたらこの話は本当にあったことかもしれないと思ってしまった。

次に印象に残ったのは『太陽馬』。コサックの名家に生まれた男の数奇な運命を描いたもの。『総統の子ら』の別バージョンのような内容だが、短編でこの密度はすごい。すっかり圧倒されてしまった。(2004/5)

『弁護士はぶらりと散歩する』マルチェロ・フォイス(早川文庫)

19世紀末のイタリアの田舎町を舞台に弁護士が探偵役となる中篇二つを収録したもの。弁護士の息子が亡き父親を思い出すという設定なのだが、途中で視点が変わるのでややこしい。また所々で方言を使うのだが、これも閉口した。アンドレア・カミッソリは語り手が移り変わることを「物語に奥行きがでる」方言を交えることを「標準語と方言を融合させることで生まれる計算されつくした文体」とまえがき(これもまえがきではあるが、あとがきと考えて欲しいと無茶な注文をつけている)であるが、どうもそれが上手く言ってるとは思えない。とても読みにくいのだ。事件は意外性があり、魅力的な登場人物も多いことを思うと、もっとオーソドックスな語り口や文章でよかったのでは。ミステリとも文学ともどっちつかずで終わってしまったような気がする。(2004/5)

『からくりアンモラル』森奈津子(早川書房)

性愛とSFを絶妙に絡ませた森奈津子のSF短編集。森奈津子というと『西条秀樹のおかげです』があまりに強烈だったのでコメディのイメージが強いのだけど、この作品集を読むと、それは一面なんだというのがよく分かる。表題作の「からくりアンモラル」では少女の屈折した心理をあますことなく描いているし、「愛玩少年」では愛されることのない存在の悲しみが胸を突く。かと思うと「いなくなった猫の話」のように泣けるような愛の話もあったりする。もちろんセクシュアルな作品もあるけど、いやらしいというより悲しい話だったりする。あらためてこの人の引き出しの多さに驚かされた。不良債権などといわずに一刻も早く次の作品集が出ることを切に望んでしまう。(2004/5)

『体験のあと』ガイ・バード(集英社)

校舎の片隅にある誰にも知られてない地下室にこもるという実験に参加した高校生達の物語。作者が18才というだけあって所々若書きを感じてしまう。稚拙とまでは行かないが、どこかぎこちない。発想は大変面白いものだけに、これがベテラン作家だったらかなり面白くなったのではと思うと少々残念だ。何が物足りないといって仕掛けの甘さだ。もう少し綿密じゃないと意外性は乏しいと思う。文体もまたぎこちない。翻訳は矢野浩三郎なのでこれは原文のせいなのか…。それは分からないが、あまり読みやすいものではない。題材が題材なだけに語り口がよければ更に楽しめる作品なのに惜しいとしかいいようがない。しかし、こういうのを読むとつくづくS・キングのすごさをあらためて感じてしまう。やはりああいう人はあまりいないものなのね。(2004/6)

『さよならのかわりに』貫井徳郎(幻冬社)

ある劇団に所属している青年が劇団のファンと称する女の子と知り合うが、彼女の謎めいた頼みによって劇団内の殺人事件に巻き込まれていく…。

ストーリーを説明するとそれだけでネタバレになりそうなので曖昧にしか書けないけど、細部までいろいろと仕組まれた物語だった。なにせ最初はミステリなのに途中から別物となり、最終的には青春小説のようになってしまうのだ。でもミステリとしての要素はきっちり満たし、なおかつ心に染み入る余韻を残してくれる。どうしてこんなことが可能なのかと思うけど、これができるのはやはり『転生』の作者ならではだろう。

一見非現実的な設定でありながらそういう要素に寄りかからず真正面から話を推し進める姿勢がいい。語り口がと爽やかなのもとてもいい。そのおかげで奇抜な設定だけどすんなりと受け入れられることができた。タイトルも絶妙だった。読み終えた後にしみじみを表紙を見つめ直したくなる物語だった。(2004/5)

『あなただけこんばんは』矢崎麗夜(講談社X文庫)

『ぶたぶた』シリーズの矢崎存美のティーンズ向け小説。矢崎ファンからすすめられたもの。あるとき、記憶喪失の幽霊を拾ってしまった主人公が幽霊の身元捜しのために奔放する羽目になる。そこへ殺人事件やら気になる男の子やらが絡んできて騒動が…。

内容はティーンズ向けだけあって他愛ないものだけど、主人公の元気な性格や言動がなんとも楽しい。幽霊さんのピンボケさがなんとなくぶたぶたに通じるものがあって嬉しくなる。ただラストが少々物足りないかな。もうひとひねり欲しかった。でもこれは確かにぶたぶたファンなら楽しめる一冊だ。ところで、最近、ぶたぶたの続きが出てないようだけど、どうしてなのだろうか。あんなに面白かっただけに残念だなあ。(2004/5)

『ラスプーチンが来た』山田風太郎(ちくま文庫)

山田風太郎の明治物。いやあ、これはものすごく面白かった。実は山風の明治ものはずいぶん前からすすめられていたにも関わらず、なぜか今まで手にしたことはない。面白いのが分かっているだけに楽しみを先に延ばしていたというのもあるけど、一番の要因は本が腐海の底から発掘できなかったせいだったりする。情けない…。

内容はというと、若き日の明石大佐がひょんなことで知り合った美しい娘雪香をめぐっていかがわしい占い師稲城黄天と対決するというもの。そこへラスプーチンが絡んで…。

この一連の騒動に様々な明治の著名人が登場するのだが、これが実に多岐に渡っていている上に本当にこんなことがあったかもしれないと思うほどエピソードがいくつも盛り込まれている。なんて贅沢な作品だろうか。たぶん、他の作家ならこれだけで何冊も本が書けるかもしれないけど、それをやらないのが山風なのだ。しかも恐ろしいことにこの物語はいざこれからというところで終わっている。ああ、この後はどうなるのだろうか。この引き際のよさにはある意味泣けてしまった。しかし、ここまでいろんな要素で楽しませてくれたのだから、それだけでもありがたいと思うようにしよう。(2004/4)

『チャーリー退場』アレックス・アトキンソン(創元推理文庫)

クライムクラブでもプレミアが付くほうの本がめでたく改訳で文庫化された。私は一応クライムクラブ版も持っているが、実はそちらでは読んでいない。手に入れたのが最近だし、無くすとつらいから文庫で読もうと決めていたので。しかし、その心得がよくなかったのか読み始めの段階で本当に紛失してしまった。ま、クライムクラブ版でなくてよかったけどね。

ということで気合を入れて読んだ一冊。劇場を舞台にした本格ミステリ。出だしとラストはよかったけれど、途中が把握しにくい。読解力が足りないせいか読み終えるのに苦労した。こういう劇場ものはやはりある程度舞台の仕組みが分かってないとつらいなあ。登場人物たちはそれぞれ個性豊かでやり取りも面白いしだけにトリックへの興味が持てなかったのが残念だ。(2004/4)

『あなたも古本が止められる』kashiba@猟奇の鉄人(本の雑誌社)

この本に関しては純粋な読者の視点を保つのが難しい。それは作者も含めて知っている方々が多数登場するからだ。ついでに言うと私自身も出ている。なのでその部分は読むのにかなり度胸が要った。たとえそれが真実であろうとも、己の赤裸々な姿を見るのは心臓によくないからだ。しかも、ここで書かれたことがほぼ事実であるというのが結構悔しい。なにせ自分でも否定できないもんな。まあ、そんな些事はともかくこれは一人の古本コレクターの魂の遍歴である。人は古本者に生まれるのではない。古本者になっていくのだというのがこの本を読むとよく分かる。今はそれほど増加してないが、この時の古本者の増加率は凄まじかったなあ。どれだけの人間が道を踏み外したことだろうか。しかし、その流れも盛りを過ぎて(たぶん)今はも新刊を買う時代である。ということで今から古本コレクターを目指す人間はこの本を読んで(もちろん新刊で買ってだ)今一度その道を歩む前に考え直していただきたい。普通はこんなに血風を吹かせられるもんじゃないんだからね。というのが未だに悪所通いを止められない身の心からの実感だ。(2004/4)

『ふたりジャネット』テリー・ビッスン(河出書房新社)

河出奇想コレクションの三冊目。読んだことはおろか名前さえ知らない作家なのでどういう傾向の人なのか全く予想できない。このシリーズに入っているからという理由だけで手にしたものだけど、奇想コレクションの名にふさわしい楽しい話が多いのが嬉しかった。やはり、こういうシリーズはこうでなくちゃね。とにかく楽しめたのは「穴のなかの穴」こんなところにこんなものが…というネタだけど、ノリのよさがいい。主人公の友人のキャラクターもいい。計算式がやたら出てくるのは閉口したけど(数学は苦手なので)続編の「宇宙のはずれ」「時間どおりに教会へ」共々、大笑いしてしまった。こういうハチャメチャな話っていいなあ。映画かドラマにしても楽しそうだ。あとは「熊が火を発見する」もほろ苦いラストがよかった。(2004/4)

『スポーツマン一刀斎』五味康祐(講談社大衆文庫)

奈良の山中から武者修行の旅に出た若者がふとしたことから巨人軍に入団し、日本プロ野球を席巻する。次の年は海ホークスに入団し、武者修行のために色の道を極めようとするが…。

このタイトルで野球小説家と思ったが、どちらかというとお色気たっぷりな奇想小説。しかも主人公のお相手となるのは山本富士子、有馬稲子、岡田茉莉子といった実在の女優ばかり。よくまあ、この美人女優たちが小説とはいえ色道修行の相手役をOKしたものだと思う。今ならファンの抗議や肖像権などでややこしいかもしれないが、この時代はそういう点は割とゆるやかだったのだろうか。それはさておき実在の女優達が登場するせいかどうも今ひとつ物語にのめり込めない。だって山本富士子の今の姿が思い浮かんでしまうんだもの。いくらロマンチックに描写されてもなあ…。ということで、物語はさすが五味康祐だけあってとても楽しめるものだったが、時代を取り入れすぎたのが災いして古びた感が否めない。どうせ奇想小説なら徹頭徹尾ありえないことで固めて欲しかった。(2004/4)

『きなきな族からの脱出』和田誠(新潮文庫)

最終章だけを集めた短編集。最終章だけなのに、そこまでの展開がありありと思い浮かぶのは細かいところまできっちり書かれているせいだろうか。しかもどれを読んでも面白いというのがすごい。だってSFやらハードボイルドやら青春ものに時代小説と各種バラエティーに富んでいるのだ。というか普通こんな面白いラストを思いついたら、頭から書きたくならないか。それを惜しげもなく最終章だけを切り取って短編集を作れるのが和田誠という才人のなせる技なんだろうなあ。つくづくすばらしいとしか言いようがない。最初の一頁から最後までとことん読み楽しみを味あわせてくれた珠玉の一冊だった。(2004/4)

『総統の招待者』森真沙子(祥伝社ノン・ノベル)

音楽誌編集者江原はドイツから戻ってきた指揮者泉からあるテープを渡される。そこに録音されていたピアノ曲にアレンジされたミサ・ソレムニスは異様な演奏であった。果たしてこの幻のピアニストは誰か…。謎を巡って楽壇の大御所の評論家が突如墜落しする。

音楽とミステリというと今ならどうしても皆川博子『死の泉』と比べてしまいたくなるが、あちらは一応幻想小説であり、こちらは冒険小説なので一緒くたというのは乱暴かもしれない。まず思ったのは音楽描写の上手さだ。宇神幸男がこの作品と似たような題材で書いているが、それに匹敵するぐらい上手い。ちなみに私は宇神幸男の音楽描写は絶妙だと思ってる。あくまで音楽描写だけだが…。ということで出だしから中盤まではワクワクしながら読んでいたのでが、後半あたりから大体の結末が見えてきたせいか、あまり面白味を感じない。たぶん冒険小説的な要素より謎のピアニストのほうに関心があったからだろう。できることならラストでその部分をもっと描いてほしかった。(2004/4)

『マネー、マネー、マネー』エド・マクベイン(H.P.B)

ホープ弁護士シリーズが終了したとき、次に終わるのは87分署シリーズなのではという噂が一時期ささやかれていたけど、マクベインをよく知る人にいるとまだまだ87分署シリーズは続くらしい。少なくても作者は意欲満々だとか。

それは51作目にあたるこの作品からもうかがえた。なんといっても今度は国際テロリストが登場するのだ。もちろんビン・レディン絡み。でもさすがにスケールが大きすぎて87分署の手に余るのではと思っていたら、そこはそれ手馴れた筆で捌いていく。まあ、ずっとこのシリーズに付き合っている身としては刑事達の変わらぬ姿を拝めるだけで感無量だけど、初期の頃のような街の描写が減ってきてるのが少々寂しい。87分署シリーズの主役はなんといってもアイソラという街なのだから。(2004/4)

『青葉の季節は終わった』近藤史恵(カッパノベルズ)

学生時代に密かに憧れていた彼女が自殺したことを知る。そのことに激しく動揺する昔の仲間たち。はたして彼女は本当に自殺したのか。それはどんな事情があったのか…という青春ミステリー。自殺したヒロイン瞳子の姿をいろんな語り手を通して描いていくというもの。繊細で謎めいた存在であり、本人にそんなつもりはないのにいろんな男性の気を引いてしまうために同性から妬まれいるヒロインを巡ってそれぞれが彼女にどういう思いを抱いていたかを再確認していく過程過程がいい。時には認めたくないことだったり、あるいは自分の都合のいいように解釈していたり、大人でもありそうなことばかりだけど、ここまで自分を真摯に見つめられるのはそれこそ青春かもしれない。どこがどうと説明し始めると、間違いなくネタバレになりそうので曖昧な言い方しかできないけど、最後に浮かび上がってくるヒロインの姿にしみじみと感動した。(2004/4)

『終わりなき負債』C・S・フォレスター(小学館)

冒険小説で名高い作者が1926年に発表した異色長編ミステリ。フォレスターを読むのはこれが始めてなので冒険小説との比較はできないが、とにかくこの異様な雰囲気にはのまれてしまう。破産寸前のある一家の前に裕福な親戚の青年が現れる。父親は彼をもてなすが次の日青年は姿を消す…。いやはや、なんて恐ろしい小説だろうか。とりあえず事件らしいことはあまりないのだけど、それが逆にこちらの想像力を刺激する。もしこの状況に自分がいたらたぶん同じようになるのでは思わせるものがあるからだ。もっともこの展開に少々教訓めいたものも感じたが。あとラストがやや不満。これでは丸儲けではないかと思うし、その後も心温まる展開にはなりえそうにない。むしろ新たな悲劇が始まりそうな気がするのだが、どんなものだろうか。(2004/4)