読書感想ノート(2004/1-3)

『ロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』完全読本』リン・カーター(角川文庫)

原作を読もうと思ったのだが、どこかに埋もれて見つからない。しょうがないので先に読本のほうを読んでみる。ファンタジー小説の書き手としても名高いリン・カーターの評論を荒俣宏が翻訳したというこれはもうある意味最強のタッグによる一冊。期待して読んでみたものの、あまりの薀蓄ぶりに何度か脱落しそうになる。いやはや、トールキンがどこから着想を得ているのかはよく分かったけど、そこまで追求するものなのか。これでは『指輪物語』の読本というよりファンタジーについての評論ではないか。いや、それはそれで色々と興味深かったけど、できることなら、『指輪物語』についてもっと言及してほしかったな。とくに後半は完全にファンタジー論になってしまって指輪物語への関連性があまりない。これなら「『指輪物語』完全読本」ではなく「ファンタジー文学ガイドブック」のようなタイトルにしたほうがよかったのではと思ってしまった。(2004/3)

『昨日のツヅキです』都筑道夫(新潮文庫)

MYSCONで追悼・都筑道夫に触発されて手にしたもの。都筑道夫の博識ぶりがものすごく伺える一冊。とくに映画関係の薀蓄が楽しい。古いことや細かいことまで取り上げられていて、都筑道夫のこだわりが感じられる。ただし、後半のインベーダーゲームについて延々と続くのには閉口した。さすがに今更こんなゲームの仕組みなんて興味持てないもの。でも当時の読者は知らないかもという前提で書かれたんだろうな。あと猟奇事件についてもこれも今となっては詳しく紹介した本が多いのでやはり読むのがキツかった。ま、連載していたのが1970年代なのだから内容にズレがあるのは当然かもしれない。(2004/3)

『地下鉄伸公』三木蒐一(東成社)

地下鉄サムの日本版とも言うべきこのシリーズは発表当時はかなり人気があったそうだけど、今では読める本は一冊もない。強いていうならこの東成社版が一番入手しやすそうだが、これだってそんなに見当たらないかもしれない。大変面白い作品だけにこの状況はとても残念である。

内容は男気あふれる元スリの伸公がづとしたことから関わった人達の苦境を救っていくという人情話。弱気を助け強気を挫く主人公の姿がとにかくカッコいい。まさしく快男児である。主人公を取り巻く人達も人情厚く、とくに主人公に惚れているヒロインの健気さは思わず応援したくなるほど可憐だ。収録作は全部で7編で大体のパターンは似ているのだが、どれも遜色なく楽しめてしまう。ああ、こんな時代もあったのだなとしみじみとさせられた一冊だった。(2004/3)

『追われる男』レオ・ペルツ(小学館)

年末のコミケで買わせていただいた『アンチ・クリストの誕生』が大変面白かったオーストリアのレオ・ペルッツの知られざる翻訳作品。なんと「中学二年生の友」という学年誌の付録(しかも訳者は梶龍雄)という形で発行されていたもの。これじゃ存在を知られてなくても不思議じゃない。でもって内容はというと、デンパという大学生が夢中になっている娘のために金策に走ろうとするものの、実は彼には恐るべき秘密があってどうしても上手くいかない。やがて彼は自暴自棄となり…というスリラー。薄っぺらな付録なので抄訳かもしれないが、それでもこの不条理で異様な雰囲気には圧倒されてしまう。とてもじゃないが、よくこんなやりきれない物語を青少年向けに紹介したものだ。これを読んだ当時の中学生はどう思っただろうか。ある種のトラウマになったのではなかろうか。ぜひとも新訳で出し直して欲しい作品だ。(2004/3)

『駐在巡査』佐竹一彦(角川書店)

村の駐在さんを主人公にした連作短編集。作者が元警視庁警部補という経歴だけあって警察内部の人間関係の描写がなかなかリアルだ。事件も取り立てて派手なものはない。むしろ実際にあったのではと思うようなものばかり。主人公である駐在さんも職務熱心だけど、どこにでもいそうな性格でとくに名探偵というような感じは一切ない。でも結末は意外性に富んでいたりするのだ。このギャップが楽しい。何気ないことから解決の糸口を見つけるところもさりげなくていい。地味な内容ではあるけれど、これはミステリとして大変楽しめる一冊だった。(2004/3)

『11の物語』パトリシア・ハイスミス(早川文庫)

引き続いてハイスミスの短編集を手にしてみる。こちらは特定のテーマはないものの、相変わらず強烈な印象を残す作品ばかり。悪夢としかいいようがない出来事をさらりと語りだす。序文でグレアム・グリーンが読者が引き返せないと言っているが、まさしくその通り。この先に恐ろしい結末が待ち受けているのが分かっているのに読むのが止まらないのだ。ちなみに私はこの短編集のおかげでしばらくかたつもりを見たくないと思ってしまった。かたつもりのことを考えただけで寒気がする。決してエスカルゴなどは食すまい。あとすっぽんも…。どいうことなのかよく分からないかもしれないけど、そういう短編集だったのだ。(2004/3)

『女嫌いのための小品集』パトリシア・ハイスミス(河出文庫)

もうこのタイトルからしてハイスミスらしさがあふれている短編集。どの話も辛辣なユーモアに満ちていてそれがなんとも小気味いい。中でも「天下公認の娼婦、またの名は主婦」のそのまんまズバリなタイトルとさらにそれを上回るブラックさに思わずのけぞりそうになった。「芸術家」のドタバタぶりも楽しい。これぞハイスミス版「空飛ぶモンティ・パイソン」だ。あと「片手」と「出産狂」のやりきれないラストも忘れ難い。女の怖さが後からじわじわとこみ上げてくるのだ。この短編集の名前通りの作品だった。(2004/3)

『外地探偵小説集 満州篇』藤田知浩編(せらび書房)

このタイトルからしてお分かりのように、満州を舞台としたミステリを集めた短編集。とにかく収録作家が豪華の一言。まさか今時こういう面子を集めたアンソロジーが読めるとは思わなかった。さすがに作品によっては古めかしくてしょうがないのもあったけど、どれも時代の空気が感じられるのがいい。中でも一番印象に残ったのは宮野叢子「満州だより」。ほのぼのとした語り口が少女小説のようで好み。あと渡辺啓助「たちあな探検隊」は異国情緒あふれる物語で、にわかロシア史好きにはたまらない内容だった。もしかしたら実際にこういうロシア人は存在したかもしれないなあ。城戸シュレーダー「満州秘録 天然人参譚」は戦前の冒険小説ならではの破天荒ぶりが楽しい。それにしても、よくこんなアンソロジーを編めたものだ。資料をそろえるだけでもかなりの苦労だったのでは。あとがきによると、「続満州篇」あるいは「上海篇」も企画しているとか。これはもう是非出してほしい。今から楽しみでしょうがない。(2003/3)

『不思議なひと触れ』シオドア・スタージョン(河出書房新社)

河出書房奇想コレクションの二冊目。私はスタージョンというと怪奇幻想というイメージなのだが、この短編集ではSF色の強い作品が多く、そのせいかずいぶん戸惑ってしまった。

印象に残ったのは「影よ、影よ、影の国」虐げられた少年の絶望がひしひしと伝わってくる。それだけにラストは嬉しい。「高額保険」は短いながらもピリっとした味わいがいい。一番楽しかったのは「裏庭の神様」でユーモアに満ちた語り口もよかったが、なんといってもラストの一行があざやか。これで作品の印象がすっかり変わってしまった。それにしてもスタージョンは本当に多彩な人だと思う。この短編集はいろいろな傾向の作品ばかりで、どれひとつとして似た話がないのだ。今でも熱烈なファンが多いのはうなづけるなあ。もっとも私は「夢見る宝石」が好きだったので、そういう話ならもっと読みたいけど、そうじゃない話はあんまり食指が動かもしれない…。(2004/3)

海洋小説の第一人者である高橋泰邦氏の推理小説。「海の三河島事件」ともいうべき実際にあった遭難事件を四年余の歳月をかけて調べぬき、新たに再構築したもの。人物以外のことは全て実地のデータに基づいて書いているせいか、小説というよりドキュメンタリーのような印象を受ける。作者の弁によれば、前作よりもより推理小説らしくなったというが…。確かに、どうして事故が起きたのかを海事補佐人と助手の間で推理していく過程はあるけれど、船に関することがあまりに専門的過ぎて知識のない人間にはとっつきにくいのだ。それよりも船長はじめとする海の男達の姿のほうが印象的。とくに職務熱心な船長と船長の判断のために事故で片腕を失った元船員の二人のやり取りがいい。これぞまさしく男のドラマだ。読んでいて胸が熱くなってしまう。登場人物は全てフィクションというけれど、ここまでリアルに描写できるのはこのジャンルに精通してる作者ならではだと思った。(2004/3)

『大暗礁』高橋泰邦(光風社出版)

自選の四作を集めた連作中編集。さすが海洋小説の大家といえようか。どれもミステリと海洋小説を見事なまでに融合させていた読み応えのある話ばかり。中でも忘れがたいのは「誤差一分」。シリーズキャラクターである二等航海士を妬む一等航海士の仕組んだ罠はやがて思わぬ結果を生み……。中盤までサスペンス的なのに終盤は突如冒険小説的になり、やがて最後の一行で全てをひっくり返すという中篇とは思えないほどの密度に読み終えて思わず唸ってしまう。なんと鮮やかなラストだろうか。「殉職」ではなんとこのシリーズキャラクターが死んでしまう話なのだが、その死に方もらしくて印象的。ただし、ずっと(といってもたかだか四作だけど)読んでいた身にはこれでお別れなのはとても寂しい。できることならこの二等航海士の話をもっと読みたかった。そう思わせてくれる魅力にあふれたキャラクターだった。(2004/3)

『気分はフルハウス』ジャネット・イヴァノヴィッチ(扶桑社文庫)

イヴァノヴィッチが昔発表したロマンス小説を友人の作家と共同で大幅に加筆したもの。おそらくこの内容からすると、かってサンリオから出ていた「あなたに夢中」だろう。今のイヴァノヴィッチが書き直したらどうなるかというのが最大の関心事だったが、、ステファニー・プラム・シリーズに比べると大人しすぎて物足りない。そもそも離婚歴のあるヒロインに大金持ちのプレイボーイは惹かれるという設定がどうも今ひとつだ。だってどうしてこの男がヒロインを気に入るのか全然理解できないんだもの。ロマンス小説のお約束事なのかもしれないけど、どうせならここら辺もうちょっと理由付けして欲しかった。ただしハチャメチャな登場人物達の多さは相変わらずで嬉しい。こういう個性豊かな人間達が複雑に絡み合ってとんでもない方向に行ってしまうのがイヴァノヴィッチの魅力だよね。これもそういう意味ではラストのドタバタ劇は楽しかった。やはりこうでなくっちゃなあ。シリーズということで次作もあるみたいだけどどうなるかな。できることならステファニー・プラム・シリーズに負けないぐらいハチャメチャにしてほしいなと願ってしまう。だって、お上品だとなんか物足りないからね。(2004/3)

『愚かものの失楽園』パトリック・クェンティン(創元推理文庫)

クェンティンの中で特に珍しくないほうの一冊。ちなみになにをもって希少とするかどうかはもちろん例の目録に依っている。なお、私の所持してるのは初版だ。いや、だからどうしたというわけではないが…。

裕福な実業家が知り合った得体の知れない若い男はやがて主人公を脅迫し、主人公の若い姪を誘惑する。実業家の一族からそれぞれ恨みを買った男はある日アパートで死体となって発見されるが…というクェンティンならではのサスペンスもの。なんといっても被害者が主人公とその妻、主人公の姪、姪の婚約者からそれぞれ恨まれていく過程の描き方が上手い。これだけ動機があると誰が犯人でもおかしくないと思えるのだ。だから読んでいてハラハラする。といっても容疑者は次第に消去法で消えていくので最終的に残るのはわずかとなってしまい、そのためあんまり意外性はあまり感じられなかったが。もう少し早い段階で伏線を張ってくれてたら、もっと緊迫したかもしれない。ちなみにタイトルがとても秀逸。主人公の取り巻く環境を見事なくらい言い表している。そのせいかミステリというより普通小説みたいな印象だった。(2004/3)

『耽美なわしら』上下 森奈津子(フィールドワイ)

以前読んだASUKAノベルズの完全版。前のはとっくに絶版でかつ未収録分もあったそうなので、この度めでたく完全版が上下巻で復活した。ノベルズのときの挿絵がないのは寂しいけど、相変わらず歯切れのよい内容にすっかり楽しませてもらう。やっぱり面白いなあ。表面的にはBL系だけど、百合ティストはいつものごとく効いていて何度も笑い転げてしまうのだ。前に文章が読みやすくていいといったけど、それは性愛描写がなく至って健全なせいもあるかもしれない。実言うと、やおい系の性愛描写はあんまり得意ではないのだ。どうしても不自然な感じがするので。ラストはきっちりとしたものでなく、いつでも続きがありそうな感じなのだが、いつか続編を書かれることはあるのだろうか。あと愛原ちさと先生の小説もぜひ読んでみたいなあ。いや、これ本当に面白そうなんだもの。(2004/2)

『夜明けのエントロピー』ダン・シモンズ(河出書房新社)

河出奇想コレクションの第一弾。奇妙な味の短編集。実はダン・シモンズを読むのはこれが初めてなので、どういう傾向の作品を書く人なのかあんまり知らなかった。知っていたのはホラー系出身だということぐらい。でもさすがといおうか当然というべきか、どの作品もとても面白かった。中でも一番よかったのは「黄泉の川が逆流する」。ラストの一行で打ちのめされてしまう。ああ、やっぱり奇妙な味系の話はこうでなくちゃね。「奇妙なクラス写真」と「ケリー・ダールを探して」も元教師らしい主張をこれでもかというぐらい鮮やかな手法で展開してくれる。残りの作品も意外な結末が待ち受けているものばかりで、読んでいるとき何度もハラハラさせられたことだか。でもページをめくるのがこんなにワクワクしたのも久しぶり。とても充実した短編集だった。(2004/2)

『七人のおば』パット・マガー(創元社推理文庫)

犯人探しで新機軸を生み出した古典的な作品。イギリスに嫁いだヒロインのところに友人からおばが夫を毒殺したというニュースが伝えられる。問題なのは、おばが七人いること。そしてどのおばだかは分からないこと。かくしてヒロインは過去を回想しながら夫と殺人犯はどのおばかを推理していく…。

七人いるおばの誰もが犯罪の動機を持ち合わせているという趣向なのでしょうがないのかもしれないが、陰惨な内容に辟易させられてしまう。それでも語り口は暖かみのあるなのものなのだ。でもこの状況はあまりに凄まじい。まるで昼メロのよう。ラストで犯人は判明するけれど、この状況のまま残された一族は暮らしていけるのだろうか等とミステリと関係のないところばかり気になってしまった。ミステリとしては面白いんだけどね…。(2004/2)

『探偵稼業は止められない』サラ・パレッキー他(光文社文庫)

ジャーロに掲載されていた短編を集めたアンソロジー。女性作家と男性作家と半々にしているせいか、男性の描く探偵と女性の描く探偵の違いがはっきりしているところが興味深い。どちらかというと元気でタフぶるのは女性側の探偵たちで、男性側の探偵たちは一歩引いた視点でいることが多い。やはりウーマンリブの影響によるものだろうか。もっともイヴァノヴィッチ作のステファニー・プラムは相変わらずそそっかしいし、ホック作のホーソーンは探偵でもハードボイルドでなく本格推理ものなので、そういいきってはいけないかもしれないが。

全ての探偵を読んでいたわけではないが、それぞれ作家と探偵の個性が十分に堪能できる作品ばかりだった。ちなみに巻末の木村仁郎氏の解説「女にだって拳銃は撃てるし、男にだって料理は作れる」はこのアンソロジーの特徴を的確に現したて、とても上手いタイトルだと思った。(2004/2)

『デッド・ロブスター』霞流一(角川書店)

落語好きな方々とお話していたときに落語の出てくるミステリとしてあげられた一冊。そういえば紅門福助シリーズってそうだったね。ということで読んでみたが、ううむこれはどうしたことだろうか。なかなか読み進めないのだ。今までの作品は結構好きだったのに…。いろいろ考えてみたが、どうも会話のテンポが合わないようだ。前の作品は割と気の利いた節回しが多かったのに、今回のは少々滑りすぎのような…。トリックももはや私では理解を超えたものだったし、全般的に私の好きだった方向と変わってしまったらしい。期待していただけにこれは残念だった。(2004/2)

『西条秀樹のおかげです』森奈津子(イースト・プレス)

この本を読まずして森奈津子を語れないというほど一時は話題になっていたのだが、タイトル名のインパクトに恐れおののいて今まで手にすることはできなかった。しかしこれはもうすごいとしかいいようがない。なんでこんな大傑作を私はスルーしていたのだろか。己の見識のなさに頭を壁にぶつけたくなってしまったほどだ。

なんといっても表題作の「西条秀樹のおかげです」がすばらしい。いやあ、まさに誰もが夢見るような終焉ではないか。できることなら私もこんな終わりを迎えたいものだ。あと「哀愁の女主人

情熱の女奴隷」もいい。もうこれは「春琴抄」そのもの。やはりMというのはかくありたいものだとしみじみとうなづいてしまった。ちなみに私にはそういう傾向はないので誤解のなきように…。(2004/2)

『屍泥棒』フリーマントル(新潮文庫)

フリーマントルといえばチャーリー・マフィンであり、エスピオナージュのイメージが強いが、さすがに昨今の世界事情ではエスピオナージュは成立しにくいかもしれない。だからかもしれないが、このところ新機軸を狙っているのだろうか、「恐怖劇場」のようなものも書いている。が、やはりこの人の本領はサスペンス系だなとこの作品を読んで強く思ってしまった。

EU版FBIともいえるユーロポールに勤める女性心理分析官を主人公にした短編集。プロファイリングが絡むので扱う事件は猟奇殺人が多い。しかし短編のせいか、意外と内容は軽めで初期のフリーマントルが好きだった身としてはなんとなく物足りなさを覚えてしまう。なんといっても主人公を取り巻く二人の男が優秀すぎなのも今ひとつ不満だ。初期ならばこの二人、うだつの上がらない窓際族というような描かれ方をしたのではなかろうか。チャーリー・マフィンの鬱屈した様子がなんとなく懐かしく思われてしまう。やはりフリーマントルは昔のほうが面白かったな。寂しいことだ。(2004/2)

『孤独な場所で』ドロシイ・B・ヒューズ(H.P.B.)

ポケミス名画座と銘打たれたシリーズの一冊。最近クラシック・ミステリの刊行が相次いでいるが、これもその嬉しい企画のひとつである。名画座ということで映画化された作品を取り上げているのだが、これもニコラス・レイ監督ハンフリー・ボガード主演で映画化されたものだとか。日本では永らく劇場未公開だったそうである。確かにボガードのこの役どころでは配給されなかったのも分かるような気がする。もっとも映画と原作は異なる点が多いらしいが。

内容は心を病んだ男が殺人を繰り返すというサイコ殺人もの。昔からの友達が刑事であるのを知り、ますます犯罪をくりかえしていく主人公に恋人ができ、健全な生活に戻るかのように見えるが…というサスペンス。1947年発表と思えない設定である。とくに殺人を止めようと思いつつ繰り返してしまう心の動きと自分勝手な論理は今でもありえそうな怖さがある。途中、ラブストーリ的要素が強くなって肝心のミステリ度が薄れたのが残念だが、終盤の緊張感はとてもよかった。それにしても、こういう人間が半世紀も前に存在していたのかもしれないと思うと、それが一番怖い。(2004/2)

『修羅の夏』新庄節美(東京創元社)

名探偵チビーのシリーズで有名な新庄節美のなんと時代物ミステリ。もちろん大人向けである。名探偵チビーにはこのシリーズを最初に高く評価した方が一番初めに本を見つけたときに居合わせて、かつその後すぐに薦められ、購入をゆっくりしていたら全て絶版になってしまったという少々悲しい思い出がある。もっとも図書館で読めたからいいのだが…。

チビーでもミステリとしての完成度は子供向けと思えないほど高かったので大人向けならさぞかしと思いつつ読んでみたのだが、正直言ってあまり楽しめなかった。これは解説で若竹七海氏が書いておられるように、時代や風俗の描写にこだわりすぎて文章が堅苦しく感じられたのが原因かもしれない。とくにお冴様と富蔵の関わりを物語ごとに同じ話を繰り返すのは少々うんざりさせられた。雑誌の連載ならともかく単行本でどうして繰り返す必要があるのだろうか…。推理の部分は相変わらず凝っている。私は推理力のない人間なので真相はまず読めないだろうと思っていたけど、案の定どれも全く当てられなかった。ちょっと悔しい。もっともチビーですら実は真相を読めなかったので、この人のトリックを見破るのは私ごときではまず無理なのだろう。(2004/2)

『耽美なわしらT』森奈津子(ASUKAノベルズ)

ボーイズラブ系というのは私のようにヤオイで育った人間には軽すぎて性に合わないと思っていたけど、森奈津子ならと思って手にした一冊。案の定文句なしに面白かった。副題が「黒百合お姉さまVS.白薔薇兄貴」とあるだけあって女性のキャラクターが魅力的。ここら辺はさすがとしか言いようがない。もっともこの作品は結構前のものなのだけど。全体的にテンポがいいので読みやすい。いくつかのエピソードのつながりも自然で次がどうなるのか予想できず、気が付くとワクワクさせられてる。やはりこの人のコメディのセンスはすばらしいなあ。疲れたときに読むと元気が出るもの。ということで、すっかり森奈津子のファンとなってしまった。(2004/2)

『CANDY』鯨統一郎(祥伝社文庫)

コミケで買った同人誌「ミステリ系音楽界の夕べ」によると、この作品は鯨統一郎のある意味代表作でかつ非常に野心的な作品らしい。さもありなんと何度思わされたことだか…。とりあえず私は捕鯨反対派であることを自覚した。そもそも鯨作品は「邪馬台国はどこですか」からしてダメだった。つまらないとは言わない。でも読んだ後に残るのは怒りを伴う虚脱感ばかりなのだ。というのが分かっているのに、忘れた頃にまた読んでしまう。なかなか不思議な魅力を持った作家ではあると思う。

ちなみにこの作品は本当に脱力した。たぶん作者は笑い所と思っている箇所がことごとくこちらのツボを外しているのだ。いや、笑えないことはないけれど、その場合は苦笑だな。とくにダライ・マラには笑うよりも唖然としてしまう。いやはや確かにアツク語りたくなる作家だね。(2004/2)

抱腹絶倒ものの百合コメディ。「あなただけ死なない」「かっこ悪くてもいいじゃない」しか読んだことがなかったので、森奈津子がこんなにコメディセンスあふれる人だとは思わなかった。いやあ、すばらしいの一言に尽きてしまう。なんといっても表題作の「姫百合たちの放課後」と「姫百合日記」がダントツに面白い。純情可憐さの影に垣間見られる邪悪さがいい。主人公の裏表の落差に心底シビレてしまった。しかし、こんな人間に惚れてしまう側もある意味業が深いなあ。いや、その気持ちは分からないでもないけれどね。

ところで、百合といえば私が真っ先に思い浮かぶのが「おにいさまへ・・・」という漫画なのだが、もしこれをノベライズ化あるいはパロディ化するなら、ぜひとも森奈津子にやってほしいなあ。あの世界を見事に再現できるのはこの人しかいないと思うもの。そして百合小説をもっと世の中に知らしめてくれないかと願ってしまう。(2004/1)

『殺意のシナリオ』J・F・バーディン(小学館)

小学館クラシック・クライム・コレクション・シリーズの一冊。1947年の作品だけど、あまり古さを感じさせない。それどころか悪夢のようにとしか言いようがないこの雰囲気はサイコスリラーの先駆的長編と銘打たれた帯の言葉通りでサスペンス好きな身にはとても嬉しい。とくに冒頭のオフィスに置かれた自分の最近の行動と告白、そしてこれから起きる出来事を書かれた原稿を読み、そうはなるまいと思いつつ、結局その通りに振舞ってしまうというあたりは説得力があっていい。もし自分がこの状況にいたらやはり同じようになるにちがいないと思わせるものがある。ただし犯人はめぼしがつきやすく意外性は乏しい。動機は今の時代でもありえそうな怖さがあっていいが、しかしその分だけある登場人物のその後が気にかかってしまう。実はこの点が最も怖さを感じさせられた作品だった。(2004/1)

『影を逃れて』南部樹未子(徳間ノベルズ)

最近はもうミステリは書かれてないのだろうか。推理作家協会でエッセイを書かれたのを見たときはとても嬉しかった。できれば短編でもいいから、またお書きになってほしいと願っている。それはともかく、南部樹未子の作品としては入手しにくいのがこの作品。なにせノベルズでしか出てないのだ。

内容はというと、都会に住むうら若い女性がストーカーに苦しめられるという今でも起こりえそうな題材。しかし、ひとつの出来事が次から次へとつながっていく構成の巧みさは鮮やかの一言。これが絶版で読めないなんてもったいない。ちなみに、こういう設定でありながら実は大変人情味あふれた話である。作者の視点が暖かく真っ直ぐなので歪んだ人間関係も嫌味が感じられないのがいい。初期の作品にはやりきれなさがあったことを思うと、これはなかなかすごいことではないか。ラストがかなり甘めだったのには少々脱力したけれど、まあそれぐらいはよしとしよう。(2004/1)

『悪魔物語・運命の卵』ブルガーコフ(岩波文庫)

ロシア文学というと、どうしても19世紀の作品ばかり思い浮かべてしまいがちだが、革命後にもいろいろと面白い作品は多い。とくにスターリン粛清が始まるまでの時期は文化全般がすばらしく斬新なものが多かったような気がする。代表的な例がマヤコフスキーだろうか。ブルガーコフは粛清こそされなかったものの、やはり弾圧を受けた一人で晩年は不遇だったとか。そういう経歴を知ると、この作品のユーモアに悲哀を感じてしまう。

内容はゴーゴリを思わせるような風刺小説。「悪魔の卵」はマッチ工場を解任されそうになった男が上司を捕まえて懇願しようとするが…というもの。1920年代と思えないほど洒落た描写にびっくりした。終盤近くに証明書をもらいにいった役所で突如30人のタイピスト達が踊り出すなんていうのは今なら映画でいくらでもありそうだが、この当時にすでにこんなことをやっているとは驚くべき想像力としか言いようがない。もうひとつの「運命の卵」はなんと怪獣小説。謎の怪光線によって巨大化したアナコンダや駝鳥が町を襲うが…。この怪光線をめぐるドタバタがなんとも楽しい。いかにも当時のソ連にありえそうな状況なのだ。また怪獣たちの最後もこの国らしいといおうか。いやはや、これはぜひとも怪獣好きにオススメしたい作品だ。(2004/1)

『ダーク』桐野夏生(講談社)

村野ミロはその名前の由来のように初期の頃は正統派なハードボイルドだった。その頃から男運はよくなかったけど、フェミズムへの気負いもなくて比較的好きな探偵の一人だったが、この作品では昔の面影今いずことため息をついてしまう。作品自体は面白いのだが、昔のミロにこだわりがある身にはどうも居心地が悪い。村野善三の老いた姿もショックだったが、その伴侶として選んだ久恵の見苦しさときたらもう……ダークというより化け物だ。なんて薄気味悪い人間だろうか。またミロの生き方も衝動的だで理解に苦しむ。40歳になったら死のうと思った根拠は結局なんだったのだろうか。成瀬への思いだけとはとても思えないのだが。ミロが何を求めているのか私には最後まで分からなかった。果たしてミロはどこへ行くのだろうか。なんだか似たようなことを繰り返すような気もしないでもないが…。とりあえず、これではまだ物足りない。ぜひとも次回作があることを願ってしまう。(2004/1)

『死神の戯れ』ピーター・ラビゼイ(早川文庫)

このところ何を読んでも楽しいと思っていたラビゼイだけど、さすがにこれはちょっとなあという感じ。英国国教会の牧師が公金横領し、その企みを暴きそうな人間達を排除していくという悪漢小説なのだが、悪漢というにはスケールが小さい。横領といっても寄付金をちょろまかすというセコイ手口だし、横領した金の使い道はあまりに俗っぽいし、正直こんな程度の理由で犯罪に手を染めてどうするんだろうと思ってしまう。しかし致命的なのは主人公に悪の魅力を感じ取れなかったこと。ライトコメディな味付けなので、あえてそういう風にしているのかもしれないが、そのせいで主人公が軽薄に見えてしまった。帯の言葉に悪魔的で破壊的な結末とあるけれど、とてもそうは思えない。だってまったくカタルシスがないもの。(2004/1)

『七人の刑事』TBS編(東北新社)

昭和36年から41年までTBSで放映された有名な刑事ドラマのノベライズ。担当した脚本家がノベライズしたのかどうかは分からないが、どの話もきっちりとした人間ドラマだった。これなら当時大人気だったのも頷ける。人情あふれるいい話ばかりだもの。一番印象に残ったのは「長い休暇」。地方の老刑事が休暇を取ってまで犯人を追跡しようとし、その情熱に心打たれた七人の刑事達が激務の合間に協力するというストーリーは今の視点からすると目新しさはないものの、刑事達の生き様には胸が熱くなる。余韻の残るラストもすばらしい。これはぜひ実写で見てみたかったと思うほど。まさにこの時代ならではの人間ドラマだ。それ以外の話も捜査方法などに時代は感じるものの、人を見る視点が暖かいので読後感はとてもいい。大変密度の高い作品ばかりだった。(2004/1)

『ミスティック・リバー』デニス・ルヘイン(早川文庫)

イーストウッドによって映画化されたというのであわてて読んでみる。こういうのは映画を先に観たら本はまず読まないだろうと思えるので(笑)

三人の少年のうちの一人が誘拐されたことから始まっていくこの物語はとにかく全体の雰囲気は重苦しい。少年時代から彼らの心情は鬱々としていて将来の希望なんてものがあまりない。おまけに三人は生活レベルや家庭環境の違いから内心反発しあってもいる。こういう状況だったところへ決定的となったのが誘拐事件であり、それが後の事件への大きな伏線となっていくのだが、ここら辺の物語の運び方は見事だ。ただし、くどいほど念入りな描写が続くので途中何度かもどかしく感じてしまったが。

三人の主人公のなかではデイブの存在が強烈。彼は誘拐された少年なのだが、たとえあそこで誘拐されなくてもどこかで似たような目に遭ったかもしれないと思わせる何かがある。まさしく生まれついての犠牲者タイプといえようか。私はこういうタイプは好きなので思わず彼に深く共感したが、それだけに事の成り行きが不満だ。どうせならここから新しい物語を暗示してくれればよかったのに…。解決できないのが答えなどというのはあまりに救いがなさすぎるではないか。ということで、裏表紙の紹介で感動のミステリとあったけど、私がより感じたのは絶望だった。(2004/1)

『街の背番号』戸板康二(青蛙書房)

「週刊東京」に連載されていたエッセイ集。326ものエッセイが「習俗」「礼儀」「流行」などといった30項目に分類されている。さすがに昭和33年の出版だけあって時々「戦争中は…」などと時代を感じさせる内容や言葉も出てくるけれど、語り口が上手いのでどの話も自然に思えてうなずいてしまう。なかでも印象的だったのは「鬼の首」。クイーンの長編を読んでそのトリックについて乱歩と話そうと思ったところ、乱歩からそれはまだ読んでいないといわれ、ちょっと得意になったという。でもその邪気のなさが微笑ましい。なんとなく雅楽の茶目っ気ぶりを思い起こしてしまった。あっさりとした内容ながら豊かな気持ちにさせてくれた一冊だった。(2004/1)

『姿なき殺人』ギリアン・リンスコット(講談社文庫)

第一次世界大戦終結後のイギリスにおいて初の女性参政権が認められた議員選挙に立候補した女性人権活動家と主人公にしたミステリ。なんでもシリーズ8作目の翻訳だとか。こういうシリーズができることなら1作目から翻訳して欲しかったなと思う。なぜなら主人公を取り巻く状況が今ひとつ分かりにくいかったからだ。とくに気になったのは主人公を取り巻く二人の男性。二人とも過去に浅からぬかかわりがあるように説明されているが、もう少し情報があれば主人公の性格も浮き彫りにされてより楽しめたかもしれない。

内容はミステリとしての楽しさに当時の社会的な問題を絡ませているが、コージー的な要素もあるせいか後味は爽やか。主人公も自立心旺盛だけど人情の機微に通じていて4F時代の女性に比べるとかなり親しみやすい。それだけにこのラストは気になってしまうなあ。できることなら次作も翻訳してほしいものだ。(20004/1)

『ボトムズ』ジョー・R・ランズデール(早川書房)

アメリカの田舎町というのはどうしてこんなに郷愁に満ちたものなのだろうか。キングの『IT』にしろ、マキャモンの『少年時代』にしろ、行ったことも見たこともない町がものすごく懐かしく感じられるのはここら辺の小説の影響としか思えない。この作品も語り手である老人が少年時代に起きた事件を通して少年時代を振り返るという形式なのだが、とにかく少年の心理描写が泣かせる。人種差別への憤りや仕事で挫折して酒浸りになった父親への失望は12歳の少年と思えないぐらい大人びているのに、その反面好奇心の旺盛さはあまりにストレート過ぎて微笑ましい。ちなみに主人公の好奇心は物語を大きく展開させることになるので、ここら辺の運び方は巧みだ。事件が猟奇殺人というこの時代には珍しい性質のものなのにキチンと理由付けされているのもいい。おかげで犯人の意外性もそこそこ感じられた。もっとも犯人の動機付けには少々やり過ぎの感も否めないが。なにはともあれラストのしみじみとした余韻がすばらしい作品だった。(2004/1)

『飛蝗の農場』ジェレミー・ドロンフィールド(創元推理文庫)

一昨年の「このミス」第一位の作品を今頃になって読んでみる。実は『総統の子ら』があまりに力作なので気分転換に手にしたのだが、これはこれでかなり読み応えのある話だった。

一人の男がヒロインが一人暮らししている農場に逃げ込んできたところから始まるこの物語は様々なエピソードを絡み合わせ、やがて全てをラストに結実させていくというものだが、ところどころに挟み込まれる幻想的な心情描写がすばらしい。悪夢と現実が入り混じり、どこまでが現実でどこからが幻想なのが時々迷わされてしまうのだ。だから気が付くと物語はこちらの予想とは違う方向に進んでいたりする。その挙句にラストでは……。いやはや、一体なにが起きたのかしばらく呆然としてしまった。設定自体はさほど目新しくないのだけど、いつの間にやら引き込まれてしまうという力技にあふれた作品だった。(2004/1)

『総統の子ら』皆川博子(集英社)

『死の泉』とほぼ同時代のドイツを舞台にしたということでものすごく期待していたのだが、かなり系統の異なる話だった。相変わらず皆川博子は予断を許さない。どういう話であるかはラストまで読まないと皆目見当が付かないのだ。この作品も前半は幻想的な色合いが濃いのだが、後半になると戦場の生々しい描写が延々と続き圧倒される。まるで戦記小説を読んでいるかのよう。

後半のあまりの情報量の多さにいまだに全てを理解したとは言い難いけど、ただひとつだけ言えるのはできる限り正確に描写されているということ。ナチスのユダヤ人政策やソ連側のバルチザンの抵抗の激しさ、そして連合軍の戦後処理、どれも映画や本で様々なこと見聞きしているがこの作品で事実を違うと感じた点はなかった。(ただし、これはあくまで私の知っている範囲でのことだけど)

それにしても解釈の自由度が高い話だ。作者が自身の主張よりも史実を誤りなく描くことに力を入れているせいか、読み手としては主人公たちの生き方や結末をどう思えばいいのか判断に迷ってしまう。彼らの生き方を必ずしもすばらしいとは言いないが、全面的に否定できないものがあるし…。つくづく時代に即することの難しさを考えさせられる。ナチス政権下のドイツを偏りのない視点で描いた傑作。ぜひドイツ現代史に興味のある方にはてにしていただきたい一冊だ。(2004/1)

『魔法使いになる14の方法』ピーター・ヘイニング編(創元推理文庫)

「魔法」と「学校」をテーマに古今東西の短編を集めたアンソロジー。なぜ「魔法」と「学校」かというとハリー・ポッターの影響によるものらしい。実際、どの短編を紹介する際にもほとんど必ずハリーかJ・K・ローリングの名前が引き合いに出される。確かにハリー・ポッターは面白い。だけど大傑作かどうかは少々疑問だ。なんといってもまだ完結してないのだから。とはいえ、ハリー・ポッターのおかげでファンタジーの出版が盛んになり、こういう本も出てくれたというのはとても喜ばしいことだ。その意味ではハリーとJ・K・ローリングに深く感謝したい。

収録作の中で最も好きだったのは「中国からきた卵」。竜といえども…というこのラストには大笑いしてしまった。「ワルプルギスの夜」もスラップスティックなノリがいい。キャラクターの造形も秀逸で、それぞれの掛け合いがとても楽しかった。逆に「なにか読むものは」はあまりに暗い内容でとくにラストにはかなり気が滅入ってしまう。本好きな人間には心底怖い話だ。それ以外の収録作も作者の個性あふれる作品ばかりだけど、明るい話だけじゃないのに驚かされた。ピーター・ヘイニングはなかなか曲者なアンソロジストだ。(2004/1)

『ブラック・エンジェル』松尾由美(創元社推理文庫)

一枚のCDから飛び出した天使は目の前で人を殺す……というショッキングな始まりと奇想天外な設定がいかにもこの作者らしいといおうか。もっともこの作品は一般向け初長編小説だとか。ということは初期の頃からこんな並みはずれた発想をしていたいうことに改めて驚かされた。一体どうしたらこういう設定を思いつけるのだろうか。本当に不思議な作家だと思う。

もっとも「バルーンタウン」や「安楽椅子探偵」も奇抜なのはその設定だけで内容はいたってオーソドックスなミステリだったことを思うと、設定のユニークさだけを取りざたするべきではないかもしれない。この作品も天使の存在自体は摩訶不思議だけど、それに関わる人間たちの願いは普遍的なものばかりだから。でもそれが逆に泣けてしまう。だってあまりにストレートなんだもの。しかも願い事が叶ったとしても童話でもよくあるようにその代償を払わなくてはいけないのだ。だから結果はほろ苦い。主人公もやがて本当の自分に出会うのだが、一抹の喪失感を抱えながら新しい人生を歩んでいくことになる。でもその姿には爽やかだ。それがこの作品を青春小説と言わしめているのかもしれない。(2004/1)

『ドロシーとアガサ』ゲイロード・ラーセンン(光文社文庫)

ドロシー・セイヤーズが巻き込まれた殺人事件をアガサ・クリスティと共に解決していくという信じられないほど豪華な設定のミステリ。これがどのくらい豪華かというとその他にベントリー、A・A・ミルン、ノックス、クロフツ、バークリーなどが登場するのだ。なんともイギリスミステリファンには嬉しくてしょうがない。しかも、それぞれがいかにもそれらしい台詞まで言ってくれるで、その度ごとに嬉しくなってしまう。もっとも巻末の若竹七海氏の解説によると幾分か事実と違うことが入っているらしく、それほど史実に忠実ではないらしい。まあ、こういう設定は難しいよね。一分の隙もなく組み立てるのはまず無理だと思うもの。もともとありえないことを前提にした物語であるし。

惜しむらくは肝心の事件の印象が小粒だったこと。犯人の動機付けに少々無理を感じてしまう。あるいは登場人物達の印象が強烈過ぎて事件がかすんでしまったせいもあるかもしれないが。しかし、なにはともあれ大胆な設定を小気味よくまとめた佳品であることは確かだ。(2004/1)