読書感想ノート(2003/6-8)

『ディフェンス』ウラジーミル・ナボコフ(河出書房新社)

ナボコフの初期代表作だとか。映画化もされていて、残念なことにまだ観てないのだが、それによると愛の物語というのでラブストーリーかと思ったら違っていた。あの映画は一体どこまで脚色したのだろうか。確かにチェス選手である主人公が脱したいのは愛からかもしれないので、そこら辺を強調しているのか…。

それにしても、これも含みの多い話だ。読み終えてからも何度かまたパラパラと拾い読みしたけど、あまりにも象徴するものが多くて自分の中で上手く整理できない。ただ名前に関してのこの見事な仕掛けには圧倒された。すばらしい物語だった。(2003/08)

『夜光獣』大河内常平(雄山閣)

栗栖谷一平探偵を主人公とした連作短編集。表題の『夜光獣』とはどんなものかと期待しながら読んでみたが、なぜか夜光獣は出てこない。もしかしたら、どこかに単語だけでも出ていたのかもしれないが、私は気がつかなかった。こういうことしているのは栗田信ぐらいかと思ったけど違うのね。当時の掲載誌と単行本の関係を窺ってしまう。内容については多くを語るまい。というか語りにくい話ばかりだ。いや、ははは、さすが大河内先生と申しましょうか。まあ、この手の話が大好きな人にはいいんじゃないでしょうか。私も好きなほうなのでよしとします。(2003/08)

『天使の牙』大沢在昌(角川文庫)

映画を観ることになったので、どうせなら原作を読んでおこうと思って手にしたところ、予想以上に面白くてあっという間に読み終えてしまった。読んでいるときはとにかく筋を追うのに夢中だったけど、思い返すと結構無茶な設定だなと思う。だってそんなに簡単に脳移植ってできるものなの?あと逃げた愛人に固執する男の気持ちも今ひとつ分からない。ここら辺もっと説明があるのかと思ったら、とくにないのには拍子抜けした。ずいぶんあっさりしたもんだ。これが西村寿行だったら、陰惨な理由付けするんじゃないかなと思うけど、その分アクションで楽しませてくれたのでいいかな。後に残るものは少ないが、読んでいる間はとにかく楽しかった。そういう話だった。(2003/08)

『明治/大正/昭和 日米架空戦記集成』長山靖生編(中公文庫)

戦前に発表された架空戦記のアンソロジー。今見ると、おお!と思うような作家も含まれており、当時の日本の空気が実によく伝わってくる一冊。中にはSF的な発想の作品もあり、今ならハリウッド映画で使われそうなぐらいの先駆性に思わず目をみはってしまう。おそらく書いている側は大真面目なのだろうが、現実との食い違いが微笑ましい。収録作品の中で一番気に入ったのは、やはり三橋一夫。この甘いノスタルジックに胸を締め付けられた。これがトリという編集も心憎い。(2003/08)

『MOMENT』本多好孝(集英社)

この作家がどういう人なのか不勉強なので知らない。ただよく貫井徳郎さんの本と一緒に平積みされているので随分前から興味は持っていた。たまたま手にしたこれが面白そうなので読んでみたが、これ一冊だけではなんとも言えないというのが正直な感想。つまらないわけではないが、面白いと言い切るにはためらいがある。喉ごしがよさそうなのに妙に引っかかるものがあるのだ。この居心地の悪さはなんだろうか。たぶん主人公の性格に相容れないものを感じてしまったせいかもしれない。柔和そうに見えて頑固で押し付けがましい…それを魅力的に思う人もいるだろうが、私はダメだった。話自体は面白いんだけど。(2003/08)

『鈎』D・E・ウェストレイク(文春文庫)

『斧』は読んでないので比較できないが、ウェストレイクの他の作品で言うと『オードウ』がこんな味わいの話だったような気がする。確かあれも普通の人間が少しずつ道を踏み外していくという内容だったような…。この話も同じように人が狂気に堕ちていく様を淡々と見せてくれる。サスペンスを読むと、何がよくなかったのかとかどこで歯車が狂ったのかを考えたりするけれど、この作品にはそういうことを思う余地はなかった。むしろ自分がこの立場ならと同じことをしでかすのではという恐怖心のほうが先立ってしまう。

それにしても地味な語り口である。ウェストレイクというと、私の場合ドートマンダーが真っ先に思い浮かぶのだけど、あの賑やかさはここでは全く見受けられない。引き出しの多い作家なのは重々分かっているけれど本当に多彩な人だ。さて『斧』も読んでみよう。(2003/08)

『内宇宙への旅』倉阪鬼一郎(徳間デュアル文庫)

なんて怖い話だろうか。実言うと私は怖いのが苦手なので、そういう描写が近づくとかなり身構えて心の準備をするのだが、それでもとても怖かった。でもこういう怖さは好きだ。火に入る虫のように惹きつけられてしまう。それにしてもいきなり驚かしてくれる通り魔のような怖さなら怖くても当たり前と思うけど、予想できるにも関わらず怖いというのはある意味すごいことではなかろうか。(2003/08)

『Twelve Y.O.』福井晴敏(講談社)

骨太なドラマではあると思うが、正直言ってこの専門用語の多さには閉口した。だって何がなんだかさっぱり分からないんだもの。物語自体は面白いので、もう少し分かりやすい言葉を使ってくれたらよかったのにと思う。もっとも理解できなかったのは私ぐらいかもしれないが…(なにせ最近ニュースとか真面目に見てないからなあ)

しかし、そんな繰言も中盤あたりから忘れてしまった。錯綜する人間関係が徐々につながっていく過程がいい。私はこの主人公の選んだ方法を必ずしも支持しないけど、その心情には心打たれた。といいながら、少々引っかかってしまったのは、この国はまだ「12歳の子供」なのかということ。我らの父親の世代が働きづめに働いて築いた時間をそうあっさり否定してほしくないなあ。この国はもう少しマシなはずだと思うもの(…たぶん)(2003/08)

『貴族の館』コンスタンス・ヘヴン(角川文庫)

角川文庫でその昔出版されたあまり知られてないゴシックロマンス。しかも内容はイギリス人の貧しいけど聡明な女性がロシアの大貴族の館で家庭教師として働くことのなったが…という大変私好みな内容だったのでワクワクして読んでみたのだが、残念なことに予想ほど面白くなかった。あまりに典型的なロマンスものなので途中で大体の筋書きが読めてしまうのだ。まるでお上品なハーレクインのよう。違いは性描写があるかどうかだけかもしれない。つまらないとまでは言わないが、飛びぬけて面白いともいえないそんな程度の話だった。これが典型的なゴシックロマンスだとしたらビクトリア・ヒルトやF・A・ホイットニーはやはりスゴイ作家だったのだと思う。なお巻末に各務三郎氏の「ロマンチック・サスペンス入門」が付いているのが嬉しかった。(2003/08)

『ドイツ怪談集』種村季弘編(河出文庫)

編者の趣味と見識がひしひしと伝わってくる珠玉のアンソロジー。どの話もとても面白かったが、とくに印象に残ったのはハウフ「幽霊船の話」、エーヴェルス「カディスのカーニバル」、ホーラー「写真」。ハウフは描写の数々が子供の頃聞かされた怪談話に似ていていかにも怖い話という感じがした。エーヴェルスはユーモアと恐怖の絡ませ方が絶品で余韻の残るラストが好み。しかし一番好みなのはホーラーで最後の一行に怖さがこみ上げてくる。こういう怖さがたまらなく好きだ。実は怪談はあまり好きではないのだが、こういう趣のある話は好きだということを改めて感じさせてくれた一冊だった。(2003/08)

『悪夢氏の事件簿』小林恭三(集英社文庫)

奇妙な味の探偵小説という言葉に惹かれて読んでみたが、これを探偵小説というかどうかは好みによるかもしれない。私としては好きなタイプの話なのだが、それでもミステリというカテゴリはこの作品にあまり似合っていないように思える。確かに奇妙な味わいの物語だ。悪夢というからどんなにか恐ろしいのだろうとある意味ワクワクしながら読み始めたのに、実際はあっけないほどほのぼのとしたものばかりなのだ。しかし後味は妙に絡みつく。それはなぜかというと悪夢氏の永遠のライバルMの存在が強烈だからだと思う。存在自体が悪夢で周囲の人間を悪夢に突き落とさずにいられないMは恐ろしくもあり魅力的でもある。もしどちらかを選べと言われたら、私はもしかしたらMを選んでしまうかもしれない。悪は善よりも印象に残るのだ。しかし残念なことにこの物語で悪夢氏とMの決着は見られなかった。続編が出ているかどうか調べてみたが分からなかった。ぜひともこの二人の行く末と知りたかったのに…。(2003/08)

『赤ちゃんがいっぱい』青井夏海(創元文庫)

助産婦探偵シリーズの二作目。前作は中編集だったが、今度は長編ということではたしてどういうものになるのかと期待しながら読んだら相変わらず微笑ましい内容でとても嬉しかった。とにかく展開がリズミカルで楽しい。ちょっとがんばりすぎかなと思えるヒロインだけど、それが嫌味に感じられないのはヒロインを取り巻く登場人物たちがキチンとした大人だからかもしれない。とくに明楽先生の人柄には思わずホレボレとしてしまう。こういう人が周囲にいたら身重な体じゃなくても頼りたくなる。妊婦でないことが残念に思うほどだ。ちなみに前作はNHKでドラマ化されているが、その影響で明楽先生はどうしても岸田今日子と重なってしまう。さすが岸田今日子だ(笑)(2003/08)

『彼方の微笑』皆川博子(創元文庫)

とにかく圧倒された、なんという物語だろう。確かに「死の泉」や「冬の旅人」に比べると少々物足りなく思う部分もあるけれど、でもこのラストはすばらしい。それにしても皆川博子の物語はいつも解釈が難しい。さてこれはどういうことなのかと本を閉じた後またパラパラと読み直したことが何度あったことだか。しかし、そうやって何度も頁をめくるのはとても楽しい。私の解釈は作者の狙いから外れているかもしれないけど、それでもいいさっと半ば開き直りつつ、あれこれと考える。その時間は別な本を読むのにも匹敵するほど充実している。本を読んでいるときでも読み終えたときでも格別な思いを味あわせてくれる稀有な存在の作家である。(2003/08)

『ロシア・ソ連』和田春樹(朝日新聞社)

ロシア史の第一人者によって書かれた一般向けなロシア史の入門書。とにかく分かりやすいのがいい。さしづめ30分で分かるロシア史といえようか。なによりもこの国の成立を知ることによってロシア人の気質もなんとなく分かるようになったのが嬉しい。なるほどこれほどの経緯があるのなら、あの独特の愛国気質もうなづけるというもの。ロシアの文学や映画は好きでいろいろと分かっていたつもりだったけど、やはりこういう基本図書は読んでおくものだ。(2003/08)

『殺人者の健康法』アメリー・ノートン(新潮社)

この本の存在は出版されたときから知っていた。それはniftyの推理小説フォーラムで時々お名前を拝見していた西尾忠久さんが絶賛していたからである。これはぜひ読まなきゃと速攻で新刊で購入していたにも関わらず、本の樹海に埋もれて見失ってしまい、以来幻の一冊と化していた。もちろん、もう一冊購入するとか図書館で借りるとかの選択肢もあったのだが、なぜか古本屋でも図書館でも見かけない。これはもう縁無き存在なのだろうと諦めかけたとき、奇跡的にも本の山から発見することができた。これがどのくらい奇跡的なのかは我が家の惨状をご存知の方なら察してくださるだろう。とにかく、そういう経緯のある本であるので妙に思い入れが深い。

内容はというと、余命いくばくもない偏屈なノーベル賞作家のところへ幾人ものジャーナリストがインタビューに訪れるが作家によってこてんぱんにされる。しかし、その中で唯一女性ジャーナリストがインタビューするうちに作家の思いがけない秘密を暴いていく……。

会話だけで成立している物語なのでストーリー展開に起伏はない。会話のほうも思ったほどややこしくなく分かりやすい。たぶん、少しでも仏文学をかじった方なら十分理解できるだろう。肝心の作家の性格はさすがにかなり特異だけど、これもまあ目新しいというほどのものじゃない。では、どこが面白かったのかというと、愛を否定するように見せかけて賛美するという技だ。だからフランス文学って…(作者はベルギー人だけど)。しかし、あれだけの緊張感を漂わせていてこのラスト…結局そうなるんかい!と言いながらも大変気に入ってしまった。(2003/07)

『写真集 ロシア1917』ジョナサン・サンダース(IPC)

先日の古書展で購入したもの。存在は出版されたときから知っていたが、定価が高くて手が出せなかった。いつかはと思いつつ、半分忘れかけていたときに巡り合えた。とても嬉しかった。

ロシア史の写真集ではあるが、解説も細かくて読んでいて面白い。1917年とひと月ごとに区切って解説していくのだが、情勢がどんどん変化していくのが手に取るように伝わってくる。この時代がいかに激動であったかをこれほど雄弁に伝えてくれる本もないだろう。一枚の写真は一冊の本に匹敵するほどの迫力を持つのだ。何度でも見返したい一冊である。(2003/07)

『ボートの三人男』ジェローム・K・ジェローム(中公文庫)

ユーモア小説の古典的名作であるこの作品を恥ずかしながら今まで読んでいなかったのは丸谷才一を敬遠していたからだった。きっかけは「ユリシーズ」の誤訳問題。詳しいことは知らないくせに、これでなんとなくマイナスのイメージを抱いてしまい、ずっとこの人の翻訳は避けていた。しかし、ふと手にしたこの本の冒頭があまりに面白くてとうとう読み始めて思ったのは、やはり読まず嫌いはよくないということ。まさに後悔先に立たずである。

三人の紳士(+犬)がテムズ河をボートで下るというただそれだけの話なのに滅法面白い。どうしてそうなのかは井上ひさしの解説の中で引用されている丸谷才一の筑摩書房版のあとがきによると「最初から単なる滑稽小説を狙いはしななかった点に象徴的にあわられている」かららしい。しかし、読む限り狙っていなかったのは書きはじめた最初のうちだけで後半はかなり狙っているように思えてしまう。だって、ヘンリー8世とアン・ブリーンの件なんて、あまりに分かりやすくて大笑いしてしまったもの。なるほどそれでああいう悲劇が生まれたのかとついつい要らぬ事まで想像を巡らしてしまった。たぶんテムズ河を観光しに行くことはないけれど、万が一行けることがあったなら、ぜひ携えたい一冊である。(2003/07)

『ぺてん師列伝』種村季弘(岩波現代文庫)

ヨーロッパを騒がせた稀代のぺてん師達の列伝である。ぺてん師がどうやってぺてんに成功したのか、あるいはどうしてぺてん師になってしまったのかを当時の体制の不備やら人間の心理など諸々の点から検証する。その手法が面白い。ネタを知ると興味が半減するという点でぺてんとミステリと手品は似ているけれど、ぺてんの場合は成立するまでの経緯も面白いのだということに今更ながらに気が付いた。しかし人間の心理はなんと不可解なものであろうか。だからこそ、こういうぺてんが成立するのだが。(2003/07)

『裏庭』梨木香歩(新潮文庫)

久しぶりにファンタジーで圧倒された。なんてインパクトのある話だろうか。実は少年少女の成長物語は好きなのだが、感動しない場合も多くて、しかも感動しないことに引け目を感じるタイプなので読む前に身構えてしまう。しかし、この作品にはそんなことは一切無かった。最初からこの世界へ引き込まれてしまったのだ。ストーリー自体は分かりやすい。つまるところ、ある女の子の冒険談である。しかし「裏庭」の設定が絶妙だ。秘密と孤独と純粋さが入り混じっていて、こんなにもいろんなことを象徴する場所が他にあるだろうか。読み終えて思わず自分の心の中の「裏庭」を思い浮かべてしまった。あと、この女の子の性格設定もいい。この歳にしてはと思うほど大人びた視点だ。ただ、これだけ一気に成熟していまうと、それはそれで生きにくいような気もするけれど「裏庭」を支える強さがあればどんなことでもやり過ごせるだろう。いつまでも心の中に残る話だった。(2003/07)

『金曜日の女』森瑶子(角川ホラー文庫)

森瑶子というと「情事」「嫉妬」のような男女間の恋愛のもつれ話の印象が強いので角川ホラー文庫というのは少々違和感だった。しかし考えてみれば、この人はロアルド・ダールのファンで『東京発千一夜』のような奇妙な味わいのショートストーリーも書いているのだ。ならば、ホラー短編集が編まれても不思議はないのかもしれない。そう思って読んでみたが、どうもなにかしっくりこない。どれを読んでも怖さを感じないのだ。それよりも愛の不毛を描いた話のほうが印象に残ってしまう。ホラー短編集というなら、もう少し違った話を入れて欲しかったように思う。いろんな作品のある人だけに、この内容は少々残念だった。(2003/07)

『悪者は地獄へ行け』フレデリック・ダール(鱒書房)

フレデリック・ダールの中で最入手困難本である。しかし往々にして入手困難本がとてつもなく面白いものであったことは少なく、これもその例に違わぬ内容であった。うーん入手できたときはものすごく嬉しかったんだけどねえ…。刑務所の中で一緒の房になった二人の男が脱獄し、ある島へたどり着くが……というストーリーなのだが、映画化されたものをノベライズ化したのか、あるいは映画化を前提にして書かれたものなのかは分からないけど、文章が簡潔し過ぎてまるであらすじだけを読んでいるような感覚に陥る。映画化といえば『絶体絶命』もかなり簡潔な文章だったけど、まだあちらのほうが読み物として成立していたのになあ…。この本の場合、章ごとに設けられたキャプションも面白味を削いでいる原因かもしれない。細かく説明しすぎるのだ。しかも目次にもきっちりと載せてあるので、下手したら目次だけて大まかなストーリは掴めてしまえるかもしれない。映画を観た人を前提にしているのかもしれないが、映画を知らない人間には有難迷惑なことである。(2003/07)

『二十世紀イギリス短編集』上下(岩波文庫)

二十世紀のイギリス文学から選りすぐった短編集。さすがに上下本である。もっとも二十世紀と一口に言っても初頭と後半ではかなり時代が変化しているので、上下巻ではあるけれど同じくくりのアンソロジーとは思えないほど内容が異なる。

上巻はキップリング、モーム、ウッドハウス、ロレンスといった既に古典的ともいえるような作品が多く、モームの切れ味に改めて驚かされたりしたが、一番印象に残ったのはエリザベス・ボウエン「幽鬼の恋人」である。正統派の怪談話。それほど凝った趣向でないにも関わらず、ものすごく怖いと思うのは、この作品全体に漂う雰囲気のせいだろうか。怪談好きな方にはぜひオススメしたい一作だった。

下巻で飛びぬけて印象に残ったのはジーン・リース「あいつらのジャズ」。このやり場のない怒りと絶望にただひたすら圧倒される。さすが「広い藻の海」の作者だ。あとはスーザン・ヒル「別れられる日」とミリュエル・スパーク「豪華な置時計」がよかった。両方ともこの作者ならではという内容で忘れたくても何かの折に思い出してしまうというようなほど心に引っ掛かる作品だった。(2003/07)

『被害者は誰だ」貫井徳郎(講談社)

『ユダヤ人とラスプーチン』があまりに読みにくい本だったので口直しを兼ねて読み始めたら、あまりの面白さにあっという間に読み終えてしまった。やはり読書とはかくありたいものだ。

ミステリファンではあるけれど、どちらかというとサスペンス系が好きなので実は犯人当ては苦手だったりする。しかし、こういう作品を読んで犯人当てをしないのはなんとなく寂しいのであえて挑戦してみたが、ことごとくハズレであった。うーん、悔しい!しかし、ハズレたということはそれだけ作者の仕掛けが巧みであったということだ。これほどまでに趣向を凝らした作品に出会えたことを無常の喜びとしないでなんとしよう。ということで作者とのとの知恵比べは完敗だったけど読後感はとてもよかった。願わくば、吉祥院慶彦の本名のためにも続編を出してほしい。(2003/07)

『ユダヤ人とラスプーチン』ア・シマノウィッチ(新人物往来社)

少しずつロシア革命関連本を読み始めている。ロシア革命の中で文献の多い人というと真っ先に思い浮かぶのがラスプーチンであるが、あまりに多すぎるためにどれから手をつければいいのか分からない。とりあえず、コリン・ウィルソン『ラスプーチン』ユスポフ公爵『ラスプーチン暗殺秘録』を読み終えたので、次に選んだのがこの本である。

タイトルからも分かるように、ラスプーチンの秘書でもあったユダヤ人実業家の視点からロシア革命を捉えたもの。ユダヤ人が帝政時代もソ連になってからも迫害を受けていたことは「屋根の上のヴァイオリン弾き」などの作品からも知っていたが、こうやって抵抗していたのは寡聞にして知らなかった。なるほどユダヤ人が商売熱心であるのは自己防衛も兼ねているのだ。そういう点では大変興味深い本ではあったけど、惜しむらくは信憑性が今ひとつ乏しいこと。「確かな筋から聞いた話」と言われても、その情報源を明らかにしてくれないので、それを信じることができないのだ。他の文献で取り上げられてないことも多いだけに少々残念である。これが真実なら、かなり面白い話なのに…(2003/07)

『人情馬鹿物語』川口松太郎(講談社文庫)

ある種の親しみをこめて呼ぶ時に、関西では阿呆といい、関東(もしくは東京)では馬鹿という。だから、この本も馬鹿とあるけれど、それは逆に愛情からなのだ。とにかく粋な話ばかり。合計12編収録されているが、どの話もすばらしく一編読み終わるたびに余韻に浸ってしまった。今の世の中にこんな人間はいない。ここまで筋を通したり、潔かったり、人情の機微を量れる人間なんてどこを見渡してもいやしない。それが悲しい。そして、こういう物語のすばらしさを分かってくれる人間はどれだけいるのだろうか…などどTVニュースを見て思う。つくづく気が滅入るような世の中になってしまったものだ。

”信吉もの”はまだ他にもあるようなので、これはぜひ読みたい!今まで実は川口松太郎をなんとなく敬遠していたのだけど、もったいないことをしたなぁ。後悔先に立たずである。(2003/07)

『捕虜収容所の死』マイケル・ギルバート(創元推理文庫)

面白いだろうと予感していた本が面白いのは本当に幸せなことだと思う。この本はまさしくそんなことを教えてくれた一冊であった。内容はいうと「第十七捕虜収容所」+αというところなのだが、やはりM・ギルバートなのでミステリ以外の部分も楽しくて(捕虜同士の会話とか)何度お腹を抱えてしまったことだか。イギリス人ってどんな状況でもイギリス人なんだなあ。

ただし、ひとつだけ言わせてもらえば、終盤はちとキツかった。これはこれで構成的にも必要なのは分かるけど、お預けをくらった犬のようでずいぶん焦れてしまった。それにしても、この充実度でこのページ数はある意味すごい。もう少し書き込んでほしかった部分もあるけれど、ここまできっちり無駄がないと読んでいて心地よい。ああ、M・ギルバートが新刊で読めるなんて、なんてすばらしいことだろうか。できれば翻訳が続いてほしいものだ。(2003/07)

『棺前結婚』橘外男(広論社)

岩堀さんとよしださんがあれこれ言っていた橘外男をふと読んでみる。うーん、私はこんなものだと最初から思っていたけど、意識してみると文章が読みにくいかも。古びた言い回しのせいかと思ったけど、岡本綺堂のように古さを感じさせない作家もいるのだから、これは資質の差なのだろう。まあ今更、橘外男を読む人は多少の読みにくさなど気にしないだろうけど…。

内容はまあいいんじゃないかなと思う。もう好き勝手に想像を膨らましているのがよく伝わってくるもの。人に薦めたくなる作家ではないけど、自分の胸のうちに秘めておきたくなるような存在だと思った(…ってどういう存在なんだ!)(2003/07)

『危険な食卓』小池真理子(集英社文庫)

鯨統一郎の後、なんとなくもう一冊読みたくなってしまったので手にしたもの。タイトル通り、ピリッとした語り口がたまらない短編集。この作者は最初に読んだ本が好みに合わなかったので敬遠していたのだが、こういうのを読むと俄然にわかファンになってしまう。ああ、なんて面白い話ばかりなのだろうか。とくに印象に残ったのは「姥捨ての街」。この不幸の巻き込まれ方がいい。思わず我が身にこんな災難が降りかかってこないことを願ってしまうほど。この話以外にも老人が登場する話があるけれど、どちらも恐ろしさとおかしさが絶妙なバランスですばらしかった。久しぶりに贅沢な短編集を読んだという充実感でいっぱいになる。(2003/06)

『悪魔のカタルシス』鯨統一郎(幻冬舎文庫)

『海外ミステリの誤訳の事情』を読んだら、しばらくの間海外ミステリは読めなくなったので、ついこれを手にしてみたものの、これはこれで考えさせられる本だった。なんというか、ここまで来ると言葉の正しい使い方以前の問題かもしれない。一体この作者はどこまで本気で言っているのだろか。もしかして最初から最後まで全部大真面目なのか…。内容云々よりも作者の精神構造に興味を覚えてしまった。なるほどこの作者の巷の評価がうなづける一冊である。(2003/06)

『海外ミステリ誤訳の事情』直井明(原書房)

海外ミステリの誤訳について辛口エッセイ。読んで思わず唸ってしまう。ああ、そうだったのか。今まで読んでいて理解できないのは自分の読解力に問題があると思っていたけど、訳のせいもあったのかもしれないのね。といっても、この本は作品についてははっきりと名指ししていないので、どれがそうなのか読んでいる側で推測しなくてはいけないのだが…。ちなみにこの推測がまた楽しい。これかなと思い当たったときの楽しさときたらもう…(笑)

それにしても言葉を正しく伝えるのは難しい。自分では分かっているつもりでも相手に伝わらなかったことが何度あったことだか。翻訳の場合は作者の意図を正確に分かりやすく伝えるために、様々なことを知らなくてはいけない。行ったこともない場所や知らない風俗等など。場合によっては作者のほうで間違えていることもあるだろうし、誤訳が生じるのは無理ないと思う。と、思いながらも、読者としては正確で分かりやすい翻訳を望んでいる。つくづく翻訳は大変な仕事だ。こういうのを読むと、タレントが片手間にできる仕事じゃないと思うけど、売れるのはそういう本なんだよね。

翻訳と編集に携わっている人々には耳が痛くなるような内容だろうけど、海外ミステリの読者としてはある種の痛快だった。これからは読む側としても少しは注意して読もう。(2003/06)

『死が招く』ポール・アルテ(H.P.B)

ポール・アルテのよさは何といってもこれだけ盛り込んでおきながら、このページ数で終わらせることだと思う。率直に言って日本の作家がこれだけの設定にしたらページ数は倍以上になるのは間違いない。しかし、そんな未練がましいことはせずにあっさりと短縮できるのがアルテのすばらしいところだ。さすがフランス人!(って褒め言葉になっているのだろうか…)

前回も相当アクロバッティックだと思ったけど、今回もそれ以上にやってくれる。もう、やってくれるとしかいいようがないのがアルテならではだ。まあ、いろいろと突っ込みたい部分はあるけれど、この意気込みはいいよね。私はよき本格ミステリファンじゃないけど、アルテはこれからも積極的に推して行きたいと思う。いや、ホントに久しぶりにミステリを読んだ充実感でいっぱいになった。(2003/06)

『蘇る探偵雑誌「探偵実話」傑作選』ミステリー文学資料館編(光文社文庫)

某氏がこれの解説を書きたいという熱烈に要望していて、それをとっても楽しみにしていたのだが、あいにく採用されなかった。まあ、一冊も「探偵実話」を読んだことがないというから仕方ないけれど…。

という読んだことがない人間でも思わずなにか言いたくなってしまうほどそそられる作品がてんこ盛りなのが、この「探偵実話」だ。ちなみに、こんなこと言っておきながら私もこの雑誌はほとんど目にしたことはない。だって冊数は多いし、一冊だけでも高いんだもの。しかもコンプリートした人間はまだいないというし(…少なくても私の知っている範囲では)。なので、これを集めるのは宝くじで三億円が当たったときにしようと心に決めている(一生無理だね)。

目次を見ていると、とにかく面白そうなタイトルが多い。しかし、その実態はというと……作品を選出するのに苦労したという裏話がなんとなく分かるような気がしたとだけ言っておこう。個人的にはこういうのは好きという話ばかりだけどね。人様に薦めたくなるような類ではないかも。(2003/06)

『風の向くまま』ジル・チャーチル(創元推理文庫)

コージー・ミステリといえばジル・チャーチル。この人の主婦探偵ジェーン・シリーズは密かなファンで実は全作読んでいる。その作者の新シリーズとあれば読まなくては!ということで、発売から一年近くも経ってから手にした(…ホントにファンなのか(^_^;)>私)

内容はというとジェーン・シリーズほど底抜けな明るさはなく、どちらかというとほろ苦い。大恐慌というアメリカで最も暗かった時代を背景にしているからだろうか。ストーリの本筋とは関係ないが、ヒロインのかっての高校の教師が街頭でリンゴ売りをしている箇所などは妙にしみじみとしてしまう。まるで現代のリストラされたサラリーマンのようなんだもの。このほろ苦さが物語を引き立てている。たぶんシリーズが進めば、ロマンスが登場して明るくなるのだろうが、できればこの味わいを保ってほしい。ミステリーとしての仕組みはそれなりだけど、読み物としてはとても面白かった。次作も楽しみである。(2003/06)

『紅い陽炎』夏樹静子(新潮文庫)

この間読んだ短編集が面白かったのでもう一冊と手にしてみたのだが、これはダメだった。ダメという言い方は過ぎるかもしれないが、昭和50年代の風俗を題材にしているせいか今見ると信じられないような古び方なのだ。なんというか携帯電話やインターネットで登場しないとこんなにも不自然に感じるとは…。せめて登場人物達の心情がもう少し掘り下げられていたらこうまで思わなかったかもしれない。率直に言って2時間ドラマみたいな薄っぺらい内容だった。(2003/06)

『世界の果ての庭』西崎憲(新潮社)

怪奇幻想小説の翻訳とアンソロニストとして名高い西崎憲さんの創作第一作目。最初の方を本屋さんでパラパラめくってみたときに、冒頭の文章からして大変好みだったので期待していたのだが、思った以上にスケールの大きい話だった。しかし何よりも嬉しいのは、あちらこちらに散りばめられたキーワードの数々。エリザベス・ボウエンやらナボコフ等等…これには様々なイメージをかき立てられた。とはいえ、あまりの情報量に浅学な私には圧倒された部分も多々あったが。

正直言って、ファンタジーノベル大賞というから若い人の感性に見合ったような作品だろうと思っていたのだが、これはこの作者でしか書けない話だった。もうさすがとしかいいようがない。(2003/06)

『花を捨てる女』夏樹静子(新潮文庫) 

初期の夏樹静子はとても好きだった。だのに、いつから読まなくなってしまったのだろうか。たぶん「Wの悲劇」あたりだったかもしれない。ちなみに「クロイツェル・ソナタ」が私にとって全くダメでこれで縁を切ってしまった。ということで久しぶりの夏樹静子。うーん、やっぱり面白い。さりげなく女性心理の深淵さを浮かび上がらせる手法は絶品としかいいようがない。昔からこの人の短編は好きだったけど、その面白さが変わってなくて嬉しかった。(2003/06)

『やっつけ仕事で八方ふさがり』ジャネット・イヴァノヴィッチ(扶桑社文庫)

ついこの間7作目が出たばかりと思っていたら、もう8作目が翻訳されてしまった。なんてすごいペースだろうか。このシリーズの人気のほどがうかがい知れるというもの。今回は原題が「Hard Eight」であるからしてステフが散々な目に遭う話。なんと車はシリーズ最高記録で壊して(壊されて?)しまうし、家の中もしっちゃかめっちゃかにされてしまう。まさしく「泣面に蜂」状態。でもその反面、イイこともあるので総じて見ればハッピーエンドを言えるかも。しかし、だんだん描写とかが過激になってきているなあ。このままでは次はどうなることやら…(2003/06)

『世は〆切』山本夏彦(文春文庫)

山本夏彦は『無想庵物語』しか読んでない。そのときも興味があったのは竹林無想庵であって山本夏彦ではなかったので、正直言ってこの語り口は鬱陶しかった。しかし考えてみれば、あれは無想庵の評伝というより交遊録なのだから、自分自身についての記述が多いのは当然かもしれない…。

ということで、遅まきながら私にとって二冊目の山本夏彦は目が覚めるほど面白かった。一日で読み終わるのがもったいなくて、ちびりちびりと読んでいたのだが、読み終えた頃にはすっかり気分は山本夏彦である。古い言葉への思い、マスコミ批判…耳の痛くなる話からうんうんと相槌をうちたくなる話まで各種様々なのだが、本人のものの考え方が一貫しているのでどれを読んでも飽きないのだ。さて次は「私の岩波物語」を読んでみような。これを読むと岩波文庫への見方が変わるらしいので楽しみである。もっとも他にも読みたい本は山のようにあるのでいつ手にするか定かではないが…(2003/06)

『まろうどエマノン』梶尾真治(徳間デュアル文庫)

エマノンの四作目。相変わらずサクっと読める内容である。疲れたときに重苦しい本を読みたくないという気分にうってつけとでもいおうか。面白いことは面白いんだけどね…ちょっとあっさりし過ぎかなという気がしないでもない。でもさりげなく泣かせる手法は相変わらずで分かっていても、やっぱりいいなあと思う。あと悪ガキ二人の設定がいい。今は見ないタイプだけにノスタルジーをかき立てられた。(2003/06)

『懐かしい骨』小池真理子(双葉文庫)

実家の物置の下から女性の白骨死体が発見され、それを機に主人公たちの記憶も呼び覚まされていく…という過去を辿る物語。恐怖タッチではあるけれど、何よりもノスタルジーが漂う話である。死体発見に伴って封印されていた記憶が呼び覚まされていく…円満な夫婦だった両親の間に割り込んできた母親の親友。若々しくて魅力的なその女性と父親の間に何があったのか、その女性を母親が殺したのか…最後に思いかげない展開になるけど、後味はいい。ほろ苦い切なさがF・サガンを思い起こさせる。ミステリというよりもちょっとひねった恋愛小説のようだと思った。(2003/06)

『バルカン超特急 消えた女』エセル・リナ・ホワイト(小学館)

映画を観たのはずいぶん前なのでストーリーはあんまり覚えていないからいいかなと思って読んでみたものの、やっぱりおおよその流れは分かっているので、正直言ってあんまり楽しめなかった。まあ、しょうがないよね。ただ無軌道なヒロインがその無軌道さゆえに何を言っても信じてもらえないという恐怖感はこちらのほうが好みかも。うーん、いずれにしても映画を忘れてしまったので比較できないのがツライ。もう一度観なおさなくては…(2002/06)