読書感想ノート(2003/03-05)

『動機』横山秀夫(文春文庫)

『半落ち』『顔』と読んできたけど、私としてはこれが一番面白かった。表題作にもなった「動機」はいかにもこの作者らしい組織と個人の葛藤を描いたもので、『半落ち』につながるところがいい。だけど、私が一番印象に残ったのが「逆転の夏」。たった一度の過ちで全てを失った男のやるせなさがいい。罪を悔いているようでいて己の不運しか見えないところがありながら、その反面別れた妻子への切々よした思いを抱いている。この矛盾に満ちたところが人間の矮小化を見事に表している。そして、の隙を狙うような一本の電話。中盤あたりである程度結末は読めるのだが、それでもこのラストは見事。余韻にしばらく浸ってしまった。(2003/05) 

『標的走路』大沢在昌(文春ネスコ)

佐久間公の第一作目。長いこと絶版だったので探求していた人も多かったのだが、とうとう改稿して出直したのがこれ。私は改稿前を読んでないので、どう違うのか分からないけど、書き直してこれなら前のは推して知るべしかもしれない。どことなく古びた感じがする。それもよくない古び方だ。携帯電話がないせいかと思ったけど、そうじゃない。全体的に書き込みが足らないのだ。だから物足りない。とくに女性キャラがそう。なんだかいてもいなくてもどうでもいい存在みたいだ。佐久間公をはじめ、男性キャラはいい分だけ見劣りした。(2003/05)

『犯行以後』結城昌治(角川文庫)

結城昌治の初期短編集の二冊目。それぞれピリッとしたひねりが効いていてどれも面白い。やはり結城昌治はいいなあと思う。どの話もラストはほろ苦い。とくに「キリンの幸福」は分かるけど怖いという共感と恐怖を同時に味わえていい。思わず誰かに勧めたくなる話だった。

死んでから笑え」もいい。緊迫した中にどことなくユーモアが漂っていて、ラストまでぐいぐい引き込まれる。そして幕引きは「え!」と思うほど、あっけなく逆にそれが印象的だった。(2003/05)

『バニー・レークは行方不明』イヴリン・パイパー(HPB)

ポケミス名画座と銘打たれているせいか、どうしてもこれが映像だったらどうだったのだろうかと読みながら比較してしまう。この映画だと舞台劇を思わせるような趣向だったらしいが、そちらのほうが私の好みだったかもれない。この主人公である母親が次第に追い詰められていく様が痛々しくて正直言って読み続けるのがつからったからだ。本来こういうサスペンスは大好きなのだが、体調のよくないときに読む本じゃなかったかもしれない。ただし、このラストには大笑いしてしまった。なるほど、本当の恐怖はこれからだったのか。(2003/05) 

『壜の中の手記』ジェラルド・カーシュ(晶文社)

奇妙な味という言葉がこれほど似つかわしい作家もいない。どれも豊潤で何度でも読み返したくなるほどの密度。今までどれほどの人がカーシュに魅せられてきたのか、その気持ちが痛いほど分かる。こんな話を読んでしまったら、もう忘れることはできない。たとえ細かいところを忘れても、まるで澱のように心のどこかに残ってしまう。それほどまでに強烈な印象なのだ。英語圏の読者がカーシュを「心をかきみだす」「頭から離れられない」と評することが多いとあとがきであったけど、まさしくその通りだと思う。(2003/05) 

『斜光』泡坂妻夫(角川文庫)

やはりエロティシズムとはこういう形で味わいたい。こういう風に秘めやかに、しかし隠そうとしても抑えきれずに匂ってくるというのがいいのだ。で、こういう物語を成立させるのに一番大切なのはヒロインだと思うのだが、そのヒロインがまたすばらしい。同性の意地悪い眼からみても、清純でありながら妖艶でもある。これなら関わった男が狂うのも無理はない。まさしく日本的なファム・ファタルといえようか。物語の構成も趣向が凝らされていて、読み始めたら最後まで止められなかった。今更なんだけど、やっぱりこの作者はいいねぇ。(2003/05) 

『図書室の海』恩田陸(新潮社)

ノンシリーズの短編集。SFあり、ファンタジーあり、ミステリありと、この作家の幅の広さをよく表している作品集だった。それにしても、この作者と私はたぶん同世代だからかもしれないが、作品のあちこちで引用されている映画やミステリが知っているものばかりで妙に嬉しくなる。だからかもしれないが、この作者の本を読むと感性が刺激されて心地いい。読んでいて、いろいろな情景を思い起こさせてくれるのだ。まるで懐かしい友達に再会した後のよう。読み終えて、とても暖かい気持ちにしてくれた一冊だった。(2003/05) 

『tiai cay チャコイ』岩井志麻子

性愛小説は難しい。あまり赤裸々だと読んでいる側が照れくさくなるし(とくに通勤電車の中で読んでいるときとか)、それに途中で飽きてしまうのだ。だから最後まで読者を引っ張っていくのはかなりの力量が要求されると思う。残念ながら、この作品にはそこまでのパワーを感じなかった。語り手と同世代の身として、その元気さ(あるいは貪欲さ)を羨ましく思う部分はあっても、共感することは最後までできなかった。(2003/05)

『サンタクロースのせいにしよう』若竹七海(集英社文庫)

こういう問答無用で楽しませてくれる話は大好きだ。読んだ後、幸せな気持ちになれるから。とにかくタイトルがいい。登場人物たちもいい。会話もいいし、物語のテンポも絶妙だ。はっきり言ってよくないと思うところは一つもなかった。強いていうなら、もう少しこの物語を読み続けていきたいところなのに、終わってしまったことかな。しかし、これは無理な注文だと重々分かっているけど。とくに印象に残ったのは「犬の足跡」、これにはほろリとさせられた。(2003/05)

『十三階段』高野和明(講談社)

第47回江戸川乱歩祥受賞作。死刑制度についての数々の問題点を提起している部分は大変面白かったのだが、それと肝心の事件との結びつきがやや不自然に思えた。とくに犯人の動機については首を傾げてしまう。そこまでやる必要が果たしてあったのか。ここら辺、もう少し人物についての説明が欲しかった。あと、伏線らしきことを張っておきながら、結局あまり関係なかったという箇所もあって、それももう少し上手に料理して欲しかったように思う。それにしてもかなり苦い結末だ。こういう風になるとは思わなかったので、これにはある意味やられたと思った。(2003/05) 

『新本格猛虎会の冒険』(東京創元社)

実はここ数年野球中継は全く見ていない。だから、阪神の現監督が誰なのかも知らなかったりする。別に野球が嫌いなのではないけれど、昔の職場で熱狂的な巨人ファンがいて、その人にずいぶん不愉快な目にあって以来、野球自体に興味を無くしてしまったのだ。それ以来、野球なんてどうでもいいと思っていたけど、こういう本を読むと、もうちょっと野球を見ておけばよかったと思う。少しでも選手や監督の名前を知っていたら、もっと面白さが増したのだろうに。残念。

とはいえ、分からない部分があっても、ファンの熱い思いが伝わってくるとても楽しい一冊だった。この中で一番印象に残ったのはホック。このほろ苦さは阪神によく似合っていると思う。たぶん、これが他の球団(どことは言わないが…)だったら、この面白さは半減していたのでは。ところで、ホックは阪神ファンじゃないんだよね?(2003/04)

『ドレフェス事件・詩人・地霊』大佛次郎(朝日文庫)

後書きで作者自らが認めているように、資料性としても価値は乏しいかもしれない。でも「鞍馬天狗」の作者が昭和五年に発表したものなのだ。軍国化に向かって進んでいく当時の日本に対して、ドレフェス事件のゾラのように筆一本で立ち向かった作品なのだ。面白くなかろう筈がない。ということで、予想通り、いや予想以上に面白かった。

一人の愛国心あふれる軍人が事もあろうにスパイ容疑で突然逮捕される。無罪を訴えてみても全く聞き入れてもらえない。逆に自分の上官や同僚たちに証拠を捏造されてしまう。なぜこうなったかというと、背景に民族差別があり、それが国家の威信と結びついて、この事件に不審を抱いた関係者さえも圧迫されてしまうほどの状況となっていくのだ。

なんて恐ろしい話だろうか。冤罪が生まれる過程を大佛次郎は資料が足りない部分を想像力で補って書く。その筆がまた迫真的で鬼気迫るものを感じさせてくれる。こんな悲劇は二度と繰り返してはいけない。その思いがひしひしと伝わってきた。

「詩人」「地霊」はロシア革命下のテロリストの話。中でも「詩人」はテロリストが最初は政府要人を狙うものの、要人の家族(幼児を含む)が同乗しているのを見て一度は踏みとどまるというある意味ヒューマニズムに満ちた話。短いながらも静かな感動にあふれていた。(2003/04) 

『イギリス怪奇幻想集』岡達子訳編(教養文庫)

スタージョンを読んでなんとなく怪奇小説をもう少し読みたくなったので手にした一冊。怪談話というと日本では夏が定番だけど、イギリスでは冬だとか。確かにイギリスの重苦しくて長い冬はそういう話に向いているかもしれない。収録作は七つ。どれも面白かったけど、とくにヒュー・ウォルポールとアン・ブリッジが印象に残った。アン・ブリッジはロマンチックな雰囲気がいい。前半が甘ったるいなと思っていたら、この甘さを逆手に取った見事な結末で、思わずもう一度読み返してしまった。ヒュー・ウォルポールは語り手の作家の偏屈さが面白い。こういう語り手からこんな話が飛び出そうとは、そのギャップが私好みだった。(2003/04)

『きみの血を』シオドア・スタージョン(HPB)

文庫を買おうと思っていたのに、ポケミスを先に見つけてしまったのでこちらで読んでみる。出だしの思わせぶりな語りからしていい。恐怖小説というよりも一人の男の特異な生涯を描いたものという印象が強かったのだが、後半から段々とそれらしい雰囲気になってきて、最後で衝撃がまっている。ある程度、予想はしていたけど、なるほどとうなずいてしまった。確かに怖い話だと思う。描写よりもなによりもこういう人間の存在が怖くてしょうがなかった。(2003/04)

『透明な対象』ウラジーミル・ナボコフ(国書刊行会)

ナボコフは相変わらず含みも言葉遊びも多い。それが魅力であるのは間違いないが、それでもこれだけ多いと、自分の読み手としての能力の低さを自覚させられて、時々(いや、しばしばかも)鬱になる。でも、懲りずに読み続けるつもりだが。

もっとも、この話自体はとても読みやすい。文章は分かりやすいし(表面的には)、ストーリーもややこしくなく(流れだけを追えば)、登場人物たちもどことなくユーモラスでおかしい。記憶にこだわる点はナボコフらしいけど、まるで一幕ものの舞台を見ているかのようなドタバタぶりで、どういうわけかナボコフというと深刻なイメージが強かった私にはとても新鮮だった。(2003/04) 

『雷鳴の夜』ロバート・ファン・ヒューリック(H.P.B)

ついにシリーズ化されたディー判事もの。ヒューリック(まだこの表記に馴れないが)の未訳作品が刊行されるとは、これまた嬉しいことである。願わくば、このまま全作出してほしいものだが…。

ストーリーはわずか一晩の出来事なのだが、冒頭のディー判事が目撃するある出来事から最後までが見事としか言いようがないぐらい綿密につながっており、相変わらずのリズムのよさに最後まで一気に読んでしまった(もっとも、これは本自体が薄いということもあるが) それにしても、今回の話はなんて今でも通じる内容だろうか。ヒューリックが時代に対しての視点が鋭かったということもあるのだろうが、同時に世の中はそれほど変わってないってこともあるのかな…。(2003/04)

『ガブガブの本』ヒュー・ロフティング(国書刊行会)

ドリトル先生は小学生の頃の愛読書だった。父親が出張に行くたびにお土産代わりに買ってもらい、ずいぶん時間をかけて揃えたものだった。一度、間違えてダブらせてしまい、しょうがないから 友人と何かの本を交換したことがある。思えば、あれが初めての本の交換だったかもしれない…なんていうことはさておいて、久しぶりのドリトル先生はやはりとっても面白かった(と、いってもドリトル先生自身はほとんど登場しないのだが) 
なんといっても毎度お馴染みのメンバー達の口の悪さがいい。そうそうこの辛辣さは、まさしくイギリスだ。映画だと、この動物たちの辛辣さが今ひとつ薄れていたような覚えがあるけど、それじゃこの作品の魅力を削いでいるよなあ。肝心のストーリーも思わずクスリと笑いたくなるものが多く、中でも第六夜のクインズ・ブロッサムには思わず吹き出してしまった。一体どうやったら、そんな恐ろしい料理が作れるのだろうか。ぜひレシピを知りたいものだ。もちろん、グズル二世の話も忘れがたい。このほろ苦さは、もう絶品としか言いようがない。いかにもヒュー・ロフティングらしさにあふれた話だった。それにしても、こんな素晴らしい本が出版される日が来ようとは、なんて嬉しい時代になったことだろうか。(2003/04)

『顔 FACE』横山秀夫(徳間書店)

今話題の作家と言えば、この方なのかもしれない。『半落ち』の売れ行きはすごかったみたいだし、この作品もTV化されたとか(もっとも見たという友人に言わせると「何か違う」とのことだったが)等と言うことはさておいて、読み終えてまず感じたのは「地味」ということ。丁重に主人公の心理状態を描いているのは好感が持てるが、なんとなく取り扱っている事件が小粒に思えてしまい、そのせいか、どうしてもこの作品に溶け込めないのだ。何度「だからどうした」と思ってしまったことだか。内容はそれなりに面白いとは思うし、話題になるのも頷ける。でも何かが物足りないのだ。それが何のかよく分からないけど、私好みな作風なのでもう何冊か読んでみたいと思う。(2003/04)

『砂糖とダイヤモンド』コーネル・ウールリッチ(白亜書房)

ウールリッチよりもアイリッシュに心惹かれていたせいか、実はあまりウールリッチのよい読者ではなかった。しかし、決定版短編集が出たとあっては放ってはおけない。遅まきながらだけど、やっとこの本を手にした。

ああ、やはり面白いなあ。初期の頃のものばかりだが、既にウールリッチらしさにあふれた作品ばかりなのだ。中でも忘れがたいのは「踊りつづける死」。やるせなさがひしひしと伝わってくる。そしてラスト、なんて恐ろしくて哀しい終わりなのだろうか。でもこの哀しさが美しいのだ。そして、この美しさがあるからこそ、ウールリッチを読み続けてしまうのかもしれない。

それにしても、この本を読むまでずっとウールリッチは悲劇がいいと思っていたが、実は喜劇も面白かったという今更のことに気が付いた。ああ、でも久しぶりにウールリッチに浸れてとても嬉しい。さて続刊も買わなくては。(2003/04)

『狂人日記』ゴーゴリ(岩波文庫)

海野弘『ペテルブルク浮上』に引用されていたので、とても読みたくなって手にした一冊。さすがといおうか、スゴイというべきか、内容が全く古びてない。二世紀近く前に書かれた本なのに現代でも通用するような描写ばかりなのだ。

中でも「肖像画」が印象深い。二部構成で前半はふとしたことから大金を手に入れて名声を得るようになった画家がやがて身を滅ぼす話、後半は画家が大金を手にする元となった肖像画を巡る話なのだが、とくに後半の肖像画に人々が翻弄されるあたりが素晴らしい。文字通り身に迫ってくるようだった。

やっぱり古典は面白いなあ。時々でもいいから、読み残した作品を読もうと思った。もっとも、圧倒的に読み残したほうが多いんだけど…。(2003/04)

『青空娘』源氏鶏太(春陽文庫)

こんなタイトルなので、てっきりユーモア小説と思いきや、なんと悲運の少女ものだった。これだから春陽文庫は侮れない。タイトルと装丁だけで判断できないんだもの。

ヒロインはつらいことがあると青空を見てがんばろうと思う健気な少女。行方不明の母を慕って東京の父親の家に行くが、父親の本妻とその子供たちにいじめられ・・・と、こういう話にありがちな展開で、最後は予想通りハッピーエンンドになるけれど、そこに至るまでの過程がじれったい。いくら忍従が美徳という時代だからといっても、どうしてここまで耐え忍ばなければならないのか。胸が煮えくりかえるというぐらいなら、いっそ怒りを爆発させてしまえばいいのに。あと細かいところが気になって果たしてこれでいいのかと思う。結局あのわがまま娘はあのままなの。それって何だか不公平な気がするのだが…。(2003/04) 

『バイク・ガールと野郎ども』ダニエル・チャヴァリア(ハヤカワ文庫)

ラテン系の人はたくましいと映画やら本で常日頃感じていたけど、こういう話を読むと「やっぱり!」と思ってしまう。この話の主人公は自転車に乗る娼婦で、セクシーさと素人っぽさを強調するために日夜自転車に乗り回してお客(カモ)を探すのだが、この手練手管がすばらしい。確かにこれなら大抵の男は参るね。ふと、かのチリ人妻もこういう手だったのかなと邪推してしまう(笑)

でも世の中そんな甘い話ばかりじゃないということで、やっとの思いで巡りあった(引っ掛けた?)理想的な男には妻がいて、その妻のために日夜ショーを演じる羽目になる。やがて思いもよらない事件が起きて…。これで一番驚いたのはなんといっても男の妻の正体。あまりにインパクトが強すぎて、その後の展開がどうでもよく見えてしまうほど。よくまあ、こんな相手と付き合えるもんだ。(2003/04)

『ふたたびの虹』柴田よしき(祥伝社)

久しぶりにこの作者の本を手にした。この人の本を読むときはなんとなく身構えてしまう。それはRIKOシリーズがあまりに強烈だったせいと、その後に読んだライトノベル系に後味がよくないのものがあり、なんとなく「怖い」というイメージが出来上がっていたからだ。この作品も恋愛ミステリーと帯にあるけれど、それを鵜呑みするのは危険かもしれないと思いつつ、読んだらきっちりとした恋愛小説だったので、逆にそのことにびっくりしてしまった。まさかこんなしっとりとした大人の恋物語が描けるとは…。やはりこの作者は一筋縄ではいかない人だ。

さて内容はというと、訳ありな過去を持ち女将とそこに集う客たちの日常の謎めいた事件の数々。深刻なものもあれば、微笑ましいものもあり、なかなかバラエティに富んでいて楽しい。こういう話で教訓めいたことを持ち出されると結構白けてしまうのだが、そういうことはなく、そういう点もとてもよかった。残念なのはもっと読みたいと思うところで終わってしまったこと。もう少し読み続けたかったなあ。(2003/04

『ラスプーチン暗殺秘録』フェリクス・ユスポフ(青弓社) 

ラスプーチン暗殺実行犯として名高いユスポフ公爵の回想録。コリン・ウィルソン『ラスプーチン』の中で自分の行為を正当化するために、ラスプーチンを許しがたい人物として書いているというようなことがあったけど、まさしくその通りだった。確かに、当時のロシアにとって由々しき存在であったことは確かだろうが、果たして彼だけを排除すれば済むのか、その後は具体的にどうするのだという視点がない。今となると、ラスプーチンの言動にはそれほどひどいものはないように思える。これだったら、今の日本の政治家のほうがずっと問題発言が多いぐらいだ。そういう意味では、あまり面白い本ではなかった。しかし、この本の意義は訳者の後書きでもあったが、実行犯による一次資料ということにある。今日に至るまでラスプーチン関連の本は沢山出ているけど、この本を読まずして、ラスプーチンは語れないかもしれない。(2003/04)

『かりそめエマノン』梶尾真治(徳間デュアル文庫)

やはりエマノンは面白い。私はSFファンというほど熱心にSFを読んでいるわけじゃないけど、このシリーズは手にすると、すぐに読みたくなってしまう(といっても、この本が出たのはずいぶん前だけど)。初の書き下ろし長編で、しかもエマノンに兄がいたという設定なので、どうなるのかと思って読んだら、予想以上にいい話だった。しかし、これだけ壮大なスケールをこんなに上手くまとめてしまうだなんて、なんて梶尾真治という人はスゴイのだろう。そのうち、エマノン以外の作品も読んでみようかな。(2003/04) 

『がぶいしんちゅう−合意情死』岩井志麻子(角川書店)

どうしても『ぼっけえ、きょうてえ』の印象が強いせいか、今でもこの作者の「岡山・時代・百姓」ものを読むときは身構えてしまう。たとえ始まりは幸せでもラストには思わぬ怖さが待ち受けているような気がするのだ。

と思ってこの本を読んだら全く違うのでびっくりした。確かに相変わらず、人間の怖さがある。だけど、それだけでなく些細な出来事にあたふたしてしまう小心者の悲しさと面白さもあるのだ。「みまはり−巡行線路」なんてこういうラストになると思わなくて、その分大笑いしてしまった。(2003/04) 

『恋』連城三紀彦(幻冬舎文庫)

切なさも哀しさもなくあるのは怠惰のみ、そんな感じの恋愛小説。それにしても、この登場人物達が求めているのは何なのだろうか。生活に追われることもなく、情熱を燃やすこともなく、過ぎ去ったものだけを追い求め続けている。しかし、それを運良く手に入れたとしても、彼らは満ち足りることができるのだろうか。いろいろと人間の心の不条理さを考えさせられた。(2003/03) 

『アースシーの風』ル=グウィン(岩波書店)

まさか今頃ゲド戦記の続きが出るとは思わなかった。前作の『帰還―最後の書』のタイトルはどうなる?…ということはさておいて、内容は前作でやり残したことをきっちりと決着を付けたもの。しかし、前作は本当に衝撃的だった。おそらくファンタジーにあれほどフェミズムを取り入れた作品はなかったのでは。あれから10年近く経たせいか、今回はそれほど過激ではないけれど、やっぱりル=グウィンなのであちこちに男性批判めいたところがある。それが「らしく」ていい(笑)

それにしても、ル=グウィンはこの物語のことをずっと忘れてなかったんだなぁ。そんな思いがひしひしと伝わってくる話だった。(2003/03) 

『蘇る推理雑誌5「密室」傑作選』ミステリー文学資料館(光文社文庫)

何といっても心打たれたのは、竹下敏行氏の「苦に悦楽−密室発刊に際して−」。そうなのだ。こういう探偵小説への熱き思いを持たれた先人達がいらしたからこそ、今日があるのだと思う。そういう思いをしみじみと味わせてくれる文章だった。収録作の中では、狩久『訣別−副題 第二のラブレター』が最も印象に残った。なんて切なく哀しい話なのだろうか。(2003/03) 

『不可解な事件』倉阪鬼一郎 幻冬舎文庫

この作者はとにかく狂気の描き方が上手いと思う。電波系と言われそうな状態をユーモアを滲ませた語り口で描くから、つい笑ってしまうけど、よく読むとあまり笑えない。だって自分にも当てはまりそうな要素がいっぱいあるんだもの(とくに「切断」)内容的に一番好きだったのは、「密室の蝿」。幻想的な味わいがとてもよかった。(2003/03)

『書痴談義』生田耕作編訳 白水社

書物を巡る物語を集めたアンソロジー。「アルドゥス版殺人事件」というミステリが収録されていると知り合いの方に薦められて読んでみたが、どの話もとても面白かった。中でも最も琴線に触れたのは「シジスモンの遺産」これぞまさしく書痴の悪夢とでも言うべきストーリーで、あまりの恐ろしさにゾッとした。(2003/03) 

『鉤爪プレイバック』エリック・ガルシア ヴィレッジ・ブックス

恐竜ハードボイルドという前代未聞な設定なシリーズの二作目。しかし前作の続きではなく、むしろ前の時間のものというのがちょっとややこしい。内容も前作のような渋味がなく、ひたすらドタバタしているだけのような気がする。私的には一番気になる箇所(例えば屋敷への忍び込み方)が省略されていて、やたらと格闘シーンばかりというのが苦痛だった。たぶん恐竜好きなら楽しいのかもしれないなあ…。(2003/03)

『パンプルムース氏の秘密任務』マイケル・ボンド 創元推理文庫

シリーズ物の二冊目。相変わらず楽しい内容である。今回も美食にまつわる珍騒動なのだが、前作同様お色気が絡んでくるのがいい。食と色、ともに人間の(いや全ての生き物の)本能であるけれど、こういうネタをウィットに富んで描けるあたりさすがだと思う。グルメな話の割には結構下ネタが多いけど、それも面白さのひとつになっている。これぞまさしく大人向けの童話ではなかろうか。(2003/03) 

『ペテルブルク浮上』海野弘 新曜社

19世紀のロシア文学を通して都市を語るという試みの本。19世紀末から20世紀初頭のロシアは白銀の時代と呼ばれるほど文化が花開いた時代だったそうだが、確かにこの本を読んでいると、その豊かさにうっとりとする。と同時に、この街へ一度行ってみたいとも思う。直にこの文化を味わってみたくなるのだ。(2003/03)

『死にぞこないの青』乙一 幻冬文庫 

この作者の描く恐怖はかなり好きだ。血しぶきも殺戮もなく、むしろ他愛ないほど分かりやすいものなのだが、でも気が付くとずっとこの人の描いた怖さのことを考えている。この話も私にとってはまさにそういうものだった。しかし、この中で一番怖いには弱さに易々と屈する先生ではないか。そして、こういう先生がいても不思議じゃないと思える現実が最も怖い。(2003/03)

『土か煙か食い物』舞城王太郎 講談社

メフィスト賞第19回受賞作。句読点が少ないのでセンテンスが異常に長く、ずいぶん読みにくいと思っていたのだが、慣れるとむしろ心地よささえ覚えてしまう。なんとも不思議な文体だ。一瞬、エルロイを思い起こした。内容も親子間の確執を扱いながら、日本特有の陰湿なお家騒動ではなく、どこかユーモラスな騒動っぽいのがいい。ただラストが若干物足りなく感じた。まぁこういう終わりもありかなとも思うが…。(2003/03)

『西の魔女が死んだ』梨木香歩 新潮文庫 

一人の女の子の成長を描いた物語。抑制の利いた文章がいい。これという事件はないけれど、思わず物語に引き込まれてしまうほど。また主人公のお祖母さんの謎めいた雰囲気もこの物語を引き立てていてよかった。ただひとつ残念なのは脇の登場人物たち(とくにゲンジさん)の影が薄いこと。ここら辺をもう少し書き込んでほしかったなと思う。(2003/03) 

『あなたに夢中』ステッフィー・ホール サンリオ

で、イヴァノヴィッチのロマンス小説二作目。離婚暦のあるヒロインが大金持ちの男性と出会って恋に落ちるというものだが、こちらのほうは思う存分ドタバタをやってくれるのでイヴァノヴィッチ・ファンとしては堪えられない。とにかく登場人物たちが変人ばかりで、まるで映画『ザ・ロイヤルテネンバウム』のような世界を展開してくれるのだ。それ以外にもステファニー・プラム・シリーズを彷彿させてくれるエピソードが散りばめられており、ある意味ステファニー物の原点と言えるような内容だった。これはイヴァノヴィッチ・ファンにオススメの一冊である。(2003/03)

『恋のルール』ステッフィー・ホール サンリオ

イヴァノヴィッチの新作を読んだら、次作が待ち遠しくなったので、代わりに読んでみたのがこれ。イヴァノヴィッチが別名義で書いたロマンス小説である。ロマンス小説なので訳ありのヒロインがいい男と知り合って恋に落ちるというだけのものだが、さすがイヴァノヴィッチ、決して己の本分を忘れていない。あちらこちらに笑い所を用意してくれているのだ。そもそも、ヒロインが困窮する原因からしておかしい。だって芸のできる鶏に取って代われてしまうのだから。その鶏の誘拐に端を発して案の定ドタバタ劇が始まるのだが、残念なことにそこら辺は今ひとつだった。(2003/03)

『怪傑ムーンはご機嫌ななめ』ジャネット・イヴァノヴィッチ 扶桑文庫

ステファニー・プラム・シリーズもはや七作目。最初これが出たときは、たぶん一、二作で翻訳が止まるだろうと思っていたのだが、その予想は見事に外れてしまった。なんて嬉しい誤測だろう。だって、こんなに評価されるとは夢にも思わなかったのだ。当時、私の周囲では「下品なウエストレイク」(byあとがき)とか「下品なマクラウド」(byコージー好きな方の談)という評が飛び交っていて、どちらにしても下品であることは間違いないというのが読んだ人間がほぼ全員一致した見解であった。でもその下品さがまたいいのだ。ここまでやってくれると、もう何も言うことはない。いや、できれば、このままとことん突き進んで欲しいと思わせるほどのパワーに満ちている――と思っていたら本当に七作目まで来てしまったのだが(笑)

今回は(もというべきか!?)老人パワー炸裂で、相変わらず顰蹙ネタも飛び交っている。しかし今回何よりも驚かされたのはレンジャーだ。これはお読みになった方だったら、お分かりになるだろうが、思わず黄色い悲鳴を上げてしまった。ああ、次作が待ち遠しい〜!(2003/03)

『パンプルムース氏におすすめ料理』マイケル・ボンド 創元社推理文庫

タイトルと『くまのパディントン』の作者が書いたということで、なんとなく料理への薀蓄がたっぷり出てきそうな小難しい内容を予想していたのだが、とんでもない。なんとお色気たっぷりのユーモア・ミステリだった。ミステリ味はそれほど感じられないのでけど、とにかく登場人物たちのドタバタぶりが楽しい。それもウエストレイクのような派手なものでなく、まるでジャック・タチのような静かなドタバタなのだ。登場人物たちはそれぞれ魅力的だったけど、なかでもさりげなく人生を語る名シェフの存在が隠し味として光っていた。(2003/03)

『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』J.K.ローリング 静山社

このシリーズを初めて読んだときは、なるほどこれならヒットするのも当然と思わせるものがあったが、三作目で「おやっ」と思った。前ほどのパワーが感じられなくなっていたのだ。で、今回の四作目である。読んでいてまず真っ先に感じたのは「かったるい」ということ。とにかく話が長すぎる。確かにどのエピソードも伏線として必要なのは分かるけど、もう少し短くてもいいのでは。まあ、ラストの対決シーンは大変面白かったので、一応長さに耐える甲斐はあったと言っておこう。しかし、いい加減ハリーが校内で孤立していくという手で話を引っ張っていくのは止めてほしい。四度も続くとさすがに飽きてしまうのだ。(2003/03)

『古書店アゼリアの死体』若竹七海 光文社

『ぼくのミステリな日常』が面白かったのでもう一冊読んでみようと思って手にしたのがこれ。ロマンス小説専門の古書店を舞台にしたコージー・ミステリと聞いたら読まずにはいられない。案の定、ロマンス小説の薀蓄が山のように出てきてロマンス小説(とくにゴシック・ロマンス)が好きな人間には堪えられなかった。こんな店が実在していたら、間違いなく足繁く通うだろう。ただし、肝心のミステリの部分は今ひとつ。仕組みは悪くないけど、どうも私の好みに合わない。この辛辣さがいいという人もいるだろうが、私としてはもっと粋に終わらしてほしかった。(2003/03)